秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

美名と明暗

昨夜、NHKEテレで福島で増加傾向にある、仮設住宅や借り上げ住宅に避難していている住民の自死問題を取り上げていた。
 
南相馬市で起きた、ある経営者の自殺を通じて、3年以上に及ぶ仮設住宅の建築的な現実、それに符号する人々のメンタルの変化を専門医や関係者のコメントを織り交ぜながら紹介していた。

復興庁の統計データでも示されているが、東日本大震災で被災の大きかった東北3県の内、自死者や孤立死の数は福島県が断トツで高い。
 
仮設住宅は、その名の通り、仮設だ。長期滞在にたえられるような構造にはなっていない。3年以上も経過すれば、雨漏れや歪みとった構造上の弱さが表に現れる。だが、これを修復する予算や体制が十全ではない。
 
まして、昔の2軒長屋、3軒長屋のような構造だから、隣近所の生活が透けて見える。それが3年以上も続いているのだ。
 
それは、そこに住む人々の精神的な耐性の限界を示している。

地元の人たちに知られているように、原発事故での住民補償は、避難指定地域、もしくは、避難指定場所、つまり、行政が指定した、仮設や借り上げ住宅に住民票がないと支給対象にならない。

このため、仮設には週末などしか住居せず、別の賃貸住宅や自前で建築した住居に普段は暮らしながら、住民票は仮設に置いたままという人は少なくない。それは、住めなくなっている地域に住民票があるのと同じ扱いなのだ。
 
国政、行政のくだらない縛りがこうした現象を引き起こし、かつ、それが、避難先の住民との軋轢の要因にもなっている。なぜなら、住民票が該当地にないため、地域サービスへの住民負担をしていないからだ。
 
ゴミ処理、上下水道、道路、医療サービス、福祉サービスなどはすべて地域住民の住民税で賄われている。結果的に、それをすり抜けているわけだ。

それでいながら、事故前からの東電による原発補償によって避難先地域の住民より貯蓄が大きい。また、事故後は補償で生活費が潤沢であったりする。これに対するやっかみや非難も決して少なくはない。

だが…。なにかの事情で、仮設住宅以外で生活できない人たちもいる。経済的な問題だけではない。帰還できるかもしれない…という縛りだ。ならば、あえて、避難地域に家を求める必要はない。あるいは、事業の再開は地元で…という思い。それなら、それまでは仮設でがまんしよう…等々…
 
また、家族や身近な人を失い、新たな道へ歩み出す気力を失っている人たちもいる。
 
事情はひとつではない。理路整然と説明できない、いろいろな思いと事情…それが、ひとりひとりの避難生活者にある。だが、国政や行政は手続きと届け、そして、復興にかかわる特別措置法に準拠しないと身動きがとれない。つまり、一律の対応しかできない。
 
そこにこぼれていく人、置き去りにされる人の思いや気持がある。

以前ふれたかもしれないが、地域住民は住めなくなった家や土地の買い上げなり、補償なりを早く進めて、新しい土地での生活をより本格化させたいという人も多い。
 
だが、行政区を守りたい行政マンや市町村議会議員たちは、あくまで帰還と言い張る。政府もその声を地域住民全体の声と解釈し、はっきりと「もう帰れません」と言い切らなかった。
 
確かに、ふるさとはなくなります…とは容易に言葉にできない。だが、補償の問題もだが、メンタルな問題も含めて、現実的に次への道筋を示さない限り、住む、住めないの綱引きで心は揺れ続け、やがて、疲れ果てる。

南相馬市では別件で、亡くなった方の震災関連死認定をめぐり、裁判になった。一方で、手続きがわからず、その申請を出してない人も私の知り合いにいる。

震災から3年以上が経過し、外部から賑わいを演出する支援は相変わらず続いている。広域行政も風評打破や原発事故の暗いイメージを払しょくしようと、地域内や地域外、東京とのイベントを矢継ぎ早に実施している。
 
だが、いつもいうように、にぎわいを演出すればそれでいいのではない。逆に、そのにぎわいにかかわれる人間たちだけの現実をみつめようとしない逃避にだってなりえる。
 
復興、復興と言葉だけが踊り、なにひとつ、地域の現実や人の現実と向き合おうとしない。予算が網からもれている人たちに届かない。届く使われ方をしていない。それは係数や統計データばかりを出し、あるいは、こうしたにぎわいだけを支援する復興庁や国のあり方にも問題がある。

人の基本になる住まい。そして、それを支える地域サービスと環境。それが十全に行き渡らないところで、一部の人間がそこに利益や儲け、復興支援の美名だけを求めて、たかり、集まる。にぎわいには大規模な助成金補助金を出しても、網の中に入れない人たちや心の問題にどれほどの助成金が使われているといえるのか。
 
福島の現実は、それほど美しくはない。復興や風評被害という美名に、やるべきことが見失われてきている。
 
その現実の明暗とモザイクをしっかりつかめ。それは、福島を知らない人間だけではない。福島に生きる人間も同じだ。