秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

スティグマを越える

私たちは、似通っていながら、同一でない他者の違いに対して、非常に狭隘で排他的だ。

私たちが朝鮮半島、中国の人々に対して、寛容さを欠くのは、単に尖閣竹島といった領土問題のこじれや戦後処理の問題だけではない。また、朝鮮半島や中国の人々が日本に対して強硬であるのも、明治以後の歴史とそれらの問題があるからだけではない。

私たちは生まれたとき、同じく蒙古斑を持つアジア系でも最も近い民族であり、元を質せば、深い同一性を持つ民族だからだ。

朝鮮半島や中国に限らず、人は、似通っていながら、完全に同一ではないと互いへの寛容さを失わせる。

アメリカの黒人差別は、自分たちと同じように英語を巧みに使い、かつアングロサクソンと同じく、ネイティブアフリカンとしての誇りを持ち、奴隷であった者が、いつか自分たちと同じ知識と教養を身につけ、食生活をはじめとし、等しくしていることへの類似性と好ましくない肌の色、出自の違いだ。

似ている者同士であるがゆえに、そこに相違を発見すると、差別や偏見、それに基づく排除や排他、拒否、否定、対立、暴力、人権の無視が起きる。似ているほどに、わずかでも違いがあると徹底的にそうした感情が湧き上がるのだ。

逆をいえば、完全に似ている者同士の輪、自分たちの同一性に強くこだわることで、自分たちを維持しようとする。だから、わずかな違いがあれば、それを排除しなくてはという理論ではない、情動的な動機が生まれ、同一性を損なうものとして危険視させ、怖れを抱かせ、排除するのだ。これはいじめにおいても同じ。

これはカナダ出身のアメリカの社会学者ゴッフマンが1963年に出版した『スティグマ社会学』の中で、「好ましくない違い」として指摘している。

スティグマというのは、烙印のことだ。古代エジプトから黒人奴隷時代、いま現在も人身売買などでも続く、奴隷への主の所有を示す烙印のことだ。家畜のように焼いた鉄印をからだに押し付ける。いまでは烙印の代わりに依存性の高い薬物が使われている。

この国が世界の驚きを生んだ歴史の転換点が二つある。ひとつは明治以後の短期間における驚異の西欧化だ。そして、もう一つは、戦後の鬼畜米英からアメリカ崇拝への一瞬の乗り換えと驚異の経済成長だ。

私たちは欧米人に対して驚くほど、寛容だ。この国の二つの世界の驚異は、それが欧米人による誘導だったから可能だったのだ。類似性はまったくなく、明らかな相違しかないからだ。

朝鮮半島や中国を中心としたアジアの人々には対抗心や競争心、それに基づく差別や蔑視、侮蔑をむき出しにしながら、欧米人に対してこれほど従順な異民族は歴史上存在しない。

それが歴史認識において、アジアへの侵略や反省、お詫びという姿勢を失わせ、アメリカのジュネーブ協定違反による多くの民間人を殺害した無差別爆撃や原爆投下への抗議、国際裁判所への提訴をさせなくしている。

沖縄一極集中の基地問題を棚上げでき、北方領土問題に関心が薄く、尖閣竹島に憤るのも同じだ。

かつて黒人解放運動、公民権運動をけん引したキング牧師が行ったのは、これを乗り越えるための対話だった。暴力に頼った者もいた。だが、彼は一貫して、対話によって互いを知り、共に同じ人間として、国民としてアメリカのために生きることを主張した。

私たちは、アメリカにこそ抗議ができ、アジアに生きる同じ人間として、同じアジア人として、共に生きるための対話の道を閉ざしてはいけない。スティグマを乗り越える。
その知恵は、キング牧師マンデラマザーテレサ…多くの先人が示している。