秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

まともな大人度

影響力のある人にもいろいろある。

社会的な地位、肩書、実績といったものによって、それを発揮する人がいる。リーダーや組織の長といった立場でそうする人もいる。

あるいは経済的優位性でそうする人もいるだろう。国政や行政のように許認可権を持つ、またはその許認可に恣意的な力を持つことでそうする人もいるだろう。

だが、それは、ある制度、ある社会システムが維持されることによって担保される影響力でしかない。社会的属性とその価値は、社会の基準や価値観が変われば、大きく変わる。

つまり、いまの地位、肩書、実績、経済的優位性、許認可権を奪われてしまったら、社会的属性を失ったら、何の影響力も持ちえない。いや。持ちえないどこから、存在意義を見失い、否定の対象としかならなくなる。

権力というものが、変革や変更を嫌うのは、ひとえに、これによっている。

そして、この融通のない硬直した権力の恩恵を受け、かつ、所詮、こうした属性でしかない権力の枠組みと影響力を盲信する人は、同じように硬直した制度やシステムを維持、もしくは回帰したがる。

人の力、家族の元気、地域の活力、社会の底力、国の実力といったものは、硬直した属性への執着やその強化を目指す、
回帰主義からは生まれないのだ。年寄や常識からは発現されないのだ。

それは企業ひとつの発展の歴史を見ても、活力ある地域の姿を見ても、すぐにわかる。若い世代や若い発想、若い力が挫折や失敗があっても、それが許され、次への挑戦と挑戦するための自由が担保されなければ、元気の素は生まれない。

若い力は昔から、潰される。だが、それを潰す側の大人になることは恥ずかしいことだと、私は若い頃思った。無知な大人や尊敬できない大人たちを見ていてそう強く感じた。

影響力のある人というのは、明確な理念と主張を持ち、それでも、多様な意見に対応でき、否定があっても、まずはその実態を学び、耳を傾けられる人だ。そういう人には、自然と良識ある人が集まってくる。

しかし、そこに属性は必要ない。人を社会を硬直される属性にしがみつく人間に、本当の影響力を持てる人間はいない。

社会をよりよくし、未来や明日への希望、夢は、そうした属性とはかかわらない人たちがつくる時代がもう来ている。

それに気づける知恵と学びがあるか否か。いま大人たちに、まともな大人度が問われている。