秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

愛国心の育て方

この世の中に、そして、いかなる国においても、統一された愛国心などというものはない。有史以来そのようなものが歴史上存在した事実はひとつもない。

愛国心に普遍的な定義もなければ、条件づけもない。それがあると考える人がいれば、それはその人たちの幻想でしかない。

人の愛し方がそうであるように、地域や社会、国の愛し方も人それぞれなのだ。だからこそ、愛国心は、主義主張やイデオロギーを越えたところにある。また、その表し方も、実践の仕方も、多様にある。

つまり、ザ・愛国心などというものはないのだ。もし、だれかが定義づけし、条件づけし、これがザ・愛国心だなどという輩がいれば、それは、国民それぞれが自発的、自然発生的に抱くべき愛国心を否定し、恣意的、意図的、強制的に、だれかが考える身勝手な愛国心を強要しているに過ぎない。

だが、強制された愛国心など国民的合意は得られはしない。

だからこそ、人々は、愛国心の持てる国であるために、自分のありたい国の在り方、自分が生きたい、暮らしたい国の姿を権力や治世者、あるいは同じ国民、民衆に訴えるのだ。その主張は保障されている。

国をよりよくし、自分にとっても、これからを生きる人にとっても、よりよいものにしたい。そして、広く、世界中から尊敬や信頼が得られ、自負と誇りを持って自国を語れる国にしたい。それが愛国心の発露だ。そして、それが民主主義の根幹にある、いろはだ。

その考え方、とらえ方も、もちろん、人それぞれだろう。だが、間違っても、それは、だれかに強制され、それに従わなければ、この国に生きる資格がない、住む資格がないなどと否定される筋合いのものではない。
それは、明らかな他者の尊厳の否定であり、民主主義の基本を知らない、自らの無学と無知をさらしているだけだ。

今回の安保法制や憲法の問題。国立競技場を含む東京オリンピックの問題。私は、じつは、これだけの大きな議論の波を、無知無学な議論を含めて、生み出してくれた安倍総理に感謝している。

私たち国民がこれまであいまいにして、ごまかしてきた沖縄の問題にせよ、あれは過疎の進む地方の問題だと目と耳をふさいできた原発の問題にせよ、国の財政赤字を考えれば、増税やむなしとお任せにしていた税制の問題にせよ。それを私たちに深く考えさせてくれているからだ。

そして、国民ひとりひとりがその問題をとおして、それぞれの品格や品位を問われているからだ。

愛国心はあるものでも、与えられるものでも、強制されるものでもない。そうやって自ら学び、生み、育て、作り上げていくものだ。