秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

昨日は沖縄慰霊の日

沖縄のことを知ったのは、小学生のときだった。
 
テレビや新聞という媒体から知らされたものもあるが、小学生の自分がそれを強く心に焼き付けられたのは、オヤジが購読させてくれていた、小学館の小学3年生の読み切り漫画だった。
 
あの頃の小学生シリーズは教材の付録や学校の勉強に役立つ豆知識、問題集などもついていたが、戦時中の悲惨な戦争体験や戦後の社会の問題などを実話をもとにコミックにしたり、読み切りの物語にしたものが必ず掲載されていた。

日本に返還されていない沖縄で、そのとき、何が起きているのか。米軍による農地買収の現実や基地での演習の際に、地域住民を射撃の的にするような訓練の実態…そして、地元の女性が米軍兵に強姦される現実などが描かれていた。

もちろん、小学生の読み物だから、レイプシーンそのものが描かれてはいない。だが、子どもでも、そこでそのあと、何が起こったか、わかる描き方になっていた。いまだったら、アホな教師や教育者に悪書よばわりされるか、子どもに読ませるものではないといった抗議とパッシングが起きている。
 
そうした特集の読み切り物語や漫画が載るのは、いま思えば、敗戦記念日や沖縄慰霊の日の月の号だった。

テレビドラマでも敗戦後の理不尽さや不条理を描いた作品は少なくなかった。そうした小学生のときの記憶が、高校3年のとき、沖縄返還の年、オレを沖縄返還協定の問題点を学ばせるきっかけになった。

いま「あまちゃん」や「八重の桜」が東西で視聴率が違うというのが話題になっている。身近な地域や歴史ではない…それが大きな理由だろうといわれている。
 
確かにそうしたこともあるだろう。だが、果たしてそれだけだろうか。
 
いつからか、この国の人たちは、自分たちの国全体というものへの意識が希薄になってしまったからではないのか…自分たちの地域内のことばかりに心を奪われ、その地域がつながっている他の地域への関心を失いつつあるからではないのか…

決して、愛国心をもつべきだとか、国民一丸の意識が希薄だとかいった、国粋主義者がいうような軽薄で、浅薄な世迷いごとをいう気はない。

しかし、自分の生活する場だけではなく、同じ日本人として、あるいは日本という国に生きる人間として、沖縄を知ることは、結果的にこの国を知ることにつながる。
 
いいかえれば、福島を知ることは、維新から戦後、そしていまのこの国の実態を知ることにもつながる。
 
だが、そのための学習の機会や場、それは教育の場だけでなく、エンターテイメントの分野でも素通りしているように思う。また、人々も自分たちに役立つ情報しか選択していない。
 
昨日は沖縄慰霊の日…。各党政治家があれこれコメントするその希薄さが、この国の地域同士のつながりへの関心のなさと知識と学習のなさを露呈している。