秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい風

じつは、いま、いろいろな仕組みが本来あるべき姿はどうなのか。いまのあり方でいいのか。そんな問いにさらされている。

テレビの世界では、もうずいぶん前から良質のドラマの制作が難しくなっている。コミックやアニメ、小説などの原作本がいけないというわけではないが、本来は、企画やプロデュースする人間がライターと一緒になって時代を読み、オリジナルの脚本をお越して制作するというのが普通だった。

それがいまでは、安全、安心に、視聴率を獲るため、すでに読者がいて、かつマンガ大賞文学賞を受賞した作品、ベストセラー作品を意図して選択するようになっている。

これは、テレビに始まり、いまでは映画の制作でも常識になっている。共通なのは、視聴率や観客動員を図るために、トレンドの人気俳優や話題の俳優を使う、あるいは、そうしたキャスティングのために、力のある芸能プロダクションに依存してしまうことだ。

そのため、作品の内容にまでその力が働く。まして、俳優に年契などのスポンサーがいると俳優ばかりでなく、スポンサーの意向がこれまで以上に強い影響を与える。

私も映像のスタートはCMや販促物だったので、その企業の要望や事情と制作したいものの狭間でいい作品を生み出すことの苦労も醍醐味も知っている。だが、現在では、こちらの意志を通せるだけの狭間そのものがほとどなくなっている。

一方で、視聴者や観客が硬質な作品を選択しなくなった。するとしても、相対的にその数が減少している。もちろん、硬質でもいい作品があれば、観客は動く。しかし、その数はじつに少なくなっている。そうした作品を世に出すことがしくみとして難しくなっているからだ。シネコンもそのひとつ。

そうなると、そうしたいい作品をつくりたいと願い、そのための研鑽をいとわない才能は、映像の世界から離れていく。より表現機会のある分野へ、映像にこだわらなくても表現可能な世界へと流出する。

簡単にいえば、挑戦や冒険がない分野では、新しい人が育たないし、いつかない。

これは、地方の問題を考えるときでも、いまの経済や政治を考える上でも共通なことなのではないかと思う。

挑戦や冒険のためには、行動や発言の自由の幅が大きくないといけない。また、経済面では、なんとなく暮らせる、なんとか食べていけるという、社会全体に挑戦や冒険をするための自由の幅を生み出す経済的なゆとり、抱え込める余裕がいる。

それらすべてが息苦しいほどに失われている、封じ込められているのがいまという時代なのだ。

私たちがいま、戦後70年を共に生きているのは、じつは伊達ではない。いろいろな考え方や生き方、あるいは、生きてきた道やこれから進もうとする道は違っているとしても、地域や社会、国、あるいはいまある世界に新しい活力を必要と感じるなら…

この息苦しさと、封じ込められて腐っていくものをそのままにしないことだ。新しい風が吹く心地よさと新しい空気につつまれて、新しい地平が開けることの快感は、そのための労苦よりも、はるかに素晴らしい。