秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

日本の面影

何かの都合がない限り、ほぼ毎日私が走る、ジョギングコースに青山霊園がある。

その中心部から246へ抜ける桜並木の途中に、明治期、海外から英語教授や技術教育、医療衛生教育などのために日本に渡来した外国人の集合墓地がある。いわゆる、当時、お雇い外国人と呼ばれた人々だ。

教授期間を終えて、帰国した外国人が多いが、母国へ帰還せず、最後まで日本に残り生涯を終えた方、また、教授途中で病気で客死された方が葬られている。

極東の島国のために、その知識を惜しむことなく与えた彼ら。その墓碑の大半には、彼らへの感謝と尊敬の思いが刻まれ、その功績を称えている。だが、教えを受けた者たち以外、多くは世間に知られることなく静かに眠っている。

そうした、お雇い外国人の中で、比較的一般に広く知られたのが、小泉八雲。ラフカディ・オ・ハーンだ。「怪談」を遺したことでオ・ハーンのことは知らなくても、小泉八雲といえば大方の人はわかる。

八雲の随筆や回想録を紐解くと、当時のお雇い外国人の多くが、日本に魅了されたのが伝わってくる。

江戸期まであった、日本人の日本人らしさ。欧米にはない、その所作やたたずまい。対立を避け、見ず知らずの者にも向ける笑顔。宗教儀式のように、日々、繰り返される、あいさつと自然への畏怖と畏敬の言葉。。。それがもたらす、質素な生活と謙虚さ。それらが彼らが来日した頃には色濃くあった。

八雲は、その中で、日露戦争へと進む日本の将来に警鐘を鳴らしている。日本人が日本人の良さ、特質、魅力を捨て、先進国とわれる欧米国家、軍事国家と同じ道を歩むことへの落胆とそれが本来の日本、日本人の生きる道ではないという警告だ。

「100年後、この国は、いまの歩みの果てに、大きな後悔を経験することになるだろう…」。八雲のその予想通り、この国は欧米列強に肩を並べるという道のばく進の果てに、無残な死と無残な敗戦と、そして主権の喪失を経験した。

当時のお雇い外国人は、その道をばく進させるために指導した者も少なくはない。だが、だれがまだ足元も覚束ない国を破たんへと導くために技術を伝えただろう。国の発展を支える若者たちへの期待と愛なくしてそれはできない。決して、彼らを苦しめ、いのちを断つ選択をさせるためではない。

期待したのだ。八雲の言葉にあるように、自分たち欧米文化とはまったく異なる民族、伝統、文化の中で、しかし、そこにあった技術の高さ、人のつながりのすばらしさ、欧米が見失ってきた自然を崇め、自然と共に自らの暮らしを成り立たせる姿…

そこに、欧米にはない、新しい調和と発展の姿が登場するかもしれない。そう期待したのだ。

それは、いわば、欧米にはできなかった、新しい近代の姿がこの国で見られるのではないかという夢だ。だが、現実には、八雲はそれが、日本の面影として残像の中にしか残されるものでしかないということを直感していた。

「怪談」を著したのも、怖さを通じて、日本人にある自然への畏怖と敬意、欧米人が失ったそれを広く世界に訴えたかったからだ。自然に反するのが人だとしても、対立ではなく、調和を探し求める。そこに日本の美と面影を見たのだ。

私たちは近代を欧米先進国のそれひとつしかないと考えて生きてきた。だが、いま世界で、それだけが近代ではないぞという反抗や抵抗が生まれている。

いまある現象ではなく、その現象を導いている根本にあるものを見なければ、私たちは、私たち日本人の本来の姿、調和を生きる美しさを取り戻すことはできない。

自然にせよ、人にせよ、すべての調和は、互いを尊敬し、尊重する対話からしか生まれはしない。