秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

未来を解く数式

人は、過去を美談に変えたがる。人は、未来を悲観したがる。

未来を悲観したがる人ほど、過去のつくりあげた美談にしがみつく。未来を新しい数式で解くことができないからだ。

つくりあげた美談の数式では、未来の未知の数式が解けない。当然のことだ。過去の事実、現実を歪曲していては、そこにある未来を解く数式を理解することができない。

解いたつもりの数式の確かめ算も都合のいいように変換してあるから、普遍を解く秘められた数式、未来を解く鍵になる数式が見えてこない。

安保法制を推進する人、擁護する人たちのほぼすべてがこの罠にはまり、妄想の過去と妄想の未来を前にして、過去の誤った数式をいまに当てはめる。それが誤っていることにまったく気づくこともなく。

過去の数式を理解するということは、美談ではなく現実を知ることだ、知らないなら学ぶことだ。だが、残念ながら、軍事オタクや靖国オタクはこれをやらない。

沖縄を学ぶこともなく、戦間期の死の実態や現実、そこへ人々を導いた非人道性を深く取材し、知ることもなく、それら犠牲の上にある平和ボケした暮らしの中で、体感のない戦争と死を美談にして数式を取り違える。

あるいは、この数年の間の国政が招いた近隣諸国との軋轢をすべて周辺国の責任にして、差別と暴力で踏みつぶすという国際社会でも通じない無能な数式を使いたがる。それは、じつに品格と素養のない、誇りある日本人としては羞恥の数式だ。

それら品格と素養のない数式。アメリカの数式に追従するそこには、アメリカの数式がいまの世界の不安定と混乱の最大の要因となっている常識ともいっていい理解がない。

それがないところで、しかも、それを推進、擁護する大人のだれひとり、自ら死地に赴く覚悟を体幹にもたず、ゆえに、国民的合意も形成されないまま、未来の数式とするところに最大の危うさがある。

本気で喧嘩をする気もないやつが、喧嘩をやっていい条件に置かれ、どこかで腰が引けてる。そのときほど、危うい。腹をくくっていないからだ。死ぬ覚悟もなければ、卑怯者といわれてもやめる勇気もない。

いま世界で、どの国でも、本気で対国家戦争をやりたがる国はない。それはアメリカを含めそうだ。もし、いざやるとなれば、いろいろな抑止を含めてやる。

一番問題なのは、本気の覚悟を体幹にない国や政治家や未来を悲観的にとらえ、危機を誇張し、過去を妄想し、死を美談にすり替える輩が、成行きと恐怖から大人の喧嘩ではない、ガキの喧嘩を始めることだ。喧嘩の仕方をしらないやつらが始める喧嘩ほど、悲惨で無残なものはない。

だが、私たちには未来を解く数式が教科書としてある。これまでの差別や暴力の数式ではなく、明日の世代や自分たちの子どもたちの未来を拓く数式だ。

それが私たちの日本国憲法なのだ。