秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

たて・よこ・ななめ・右左真ん中・その向こう

視点の取り方で世界はいろいろに違ってみえる。

だが、それはおかしいことでも、いけないことでも、まして、不思議なことでもない。

なのに、ぼくらは、どうしてもいろいろな視点とそれゆえにもたらされる、多様な意見や異なる考え方を受け入れたがらない。

なぜか。いろいろに理由は挙げられるのだけれど、要は、ひとつにしてしまうことが一番簡単で、わかりやすいからだ。安心だからだ。

多様性がもたらす、多様な視点、考え、意見は人々を不安にさせ、強烈なアイデンティティ固執や執着へと舵を切らせる。それは、グローバリズムの果てに、いまぼくらが直面している、紛争、対立、分断、隔絶をみればすぐにわかる。

すべては、所詮、仮想でしかないアイデンティへの執着が生んでいる。

ちょっと眼差しを自然に向ければ、そこでは、すべてが常に自由闊達で、生き生きしている。自然そのものが、地球そのものが、もっといえば宇宙がそもそも多様性に満ちているからだ。それゆえに成り立っているからだ。

一見、何のつながりもないようにバラバラでありながら、だが、美しい数式のように、互いが結びつき、循環し、つながり、そのことによって、存在を成り立たせているからだ。自由闊達だからこそ、それぞれが生き生きとあるからこそ、世界はいい加減のように見えながら、見事な数式のように輝けているのだ。

ぼくらの社会、世界はもう最後といってくらいの悲鳴を上げている。

視点をひとつにし、もはや成立しない閉ざされたアイデンティへの幻想を追うのではなく、縦割りの世界だけでなく、横や斜め、左右、真ん中、上や下…視点を視線を変えていけば、見えてくる別の世界、違う道、新しい選択がある。

縦割りの不自由さに不満や不便、不都合、居心地の悪さを感じながら、おかしいと感じながら、それを変えようとしないから、ぼくらは、社会、世界の最後といってくらいの悲鳴が聞き取れない、見えない。

それぞれの視野から見える風景、ひとつではないそれらの集合の向こうに、本当はぼくらの目指すべき未来や明日がある。

それが見ないから、ぼくらは国を私物化する世界のリーダーたちをいつまでもその舞台から引き下ろすことができないでいる。