秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大事を示す

ぼくはいろいろなところで、もう10年以上前からいっているのだけれど…

国や社会の制度、しくみ、それを支えている法っていうのは、ひとつの幻想をみなが共有することで成り立っているんだってね。

道徳や倫理、社会規範、通念といったものは、成文化されているわけじゃない。自明のこととして人々が暗黙のうちに了解していことで成り立っている。だから、これらを前提としてつくられる制度やしくみには、法が必要になる。

つまり、法そのものの根幹は、人々が共有する幻想の上に成り立っているに過ぎないのさ。

だから、基盤となる道徳や倫理、社会規範、通念といったものが堅牢であるうちは、法への信頼も、それを基本に成り立っている国や社会、そして組織への帰属意識や貢献意識も低くはならない。

ところが、それが揺らぐと人々の中から、法なんてたいしたことない、道徳や倫理なんて関係ねぇといった人たちが生まれ、そして増殖していく。

それは国、社会、組織への信頼と帰属意識、貢献意識はもとより、それを成り立たせている制度やしくみそのものも揺るがしていく。制度やしくみが本来の機能を果たさない、果たせない現象があちこちに出現してくるのさ。

無差別殺傷事件や動機不明の犯罪、衝動的で情動的な性犯罪や暴力、虐待といった事件、あるいは贈収賄や不正が単に厳罰化すれば解決できる、抑止できるものではないのと同じで、法そのもののがその根幹を否定され、意味性を失い、無力化されているからさ。

人々の欲求が一枚岩ではなくなり、多様性と流動性が広がるとそれまで自明とされていた道徳、倫理、社会規範、通念も一枚岩ではなくなり、法とそれが支える制度やしくみそのものが成立しないか、機能不全となる。

政治の大事、根幹は、そうならないために、人々が共有している幻想が信頼に足るものだと人々に示し続けることでしかないんだよ。

だけど、まるでかつて人々が画一的で同じ方向を見ていた時代と同じふるまいしかできない政治状況だと、個別的で、格差が広がり、多様化、流動化している人々の欲求に応える、幻想を維持することができなくなる。

沖縄の米軍軍属の事件が、オバマ大統領の広島訪問にケチがつないよう、事件発覚からずっと死体遺棄事件犯としてしか報道されず、これだけの時間をかけ、やっと暴行殺人罪として起訴される。

経済の失策を謙虚に反省するどころか、国際社会から非難される言葉のすり替えで、消費税増税延期の体面をつくろう。消費税延期の是非のみを問うことで、選挙を有利にすすめ、憲法改正発議のための議席をねらう。国民生活のための選挙ではなく、政権のやりたいことのための選挙。

以前なら、明らかに黒で、起訴されて当然の甘利元大臣が政権の法務省官房の捜査つぶしで不起訴になり、政治活動を再開する。

舛添都知事に都議会自公は厳しい言葉をぶつけながら退陣要求をする根性はない。それどこから、国会議員から都議会議員まで議員と名のつく人間たちの中に、国民の血税でいまの政治活動や生活が維持されている自覚の乏しい人は少なくない。

人々が自明のこととして共有してきた幻想、道徳や倫理、社会規範、通念、それを背景とした法とそれが支える制度やしくみ。その大事を示すどころか、それを政治そのものが自ら壊し、人々に、それらが信じるに値しない幻想だと示しているけど、それにさえ、気づいていない。

当たり前のことができない時代だからこそ、かつてのようにみなが同じ方向を向ける時代ではないからこそ、大事を示すことがとても大切なんだ。

大事を示せない政治は、政治をダメにするだけじゃない。ぼくらが大事にしようと日々守っている当たり前の日常さえ奪っていく道につながる。