秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いまこそ、ゆだねられている

この世に無駄なものは、ひとつとしてない。だから、くだらないと切り捨ててはいけない。確かに。

だが、じつは無駄なもの、くだらないものは、この世にあふれている。

その言葉が教えているのは、無駄でくだらないものやことも、それを無駄で、くらだらいなものにするかどうかは、受け手の側の姿勢や考え方にある…ということだろう。

無駄なもの、くだらないことにどう対処できるか、対応するか…その質を高めることを学ぶことができれば、無駄でくだらなくても、役立つものにすることができるということだ。

だから、この世には、無駄なもの、くだらないことが溢れている。

憲法学者の大半が、内閣決議による安保法制は違憲、もしくは違憲の疑いがあると公然とその学者生命をかけて表明し、いまや政権の御用局となっているNHKの世論調査で、国民の6割以上が安保法制に反対している。

権力者は、それを無駄、くだらないと考え、国会で数に物を言わせ強硬採決を決め込んでいる。

おかしなことが起きている。

憲法は国民が治世者、権力者を監視監督するためにある。その国民がとりあえず、世論調査で反対している。法律研究の専門家たちも、違憲である、つまり、国民の権利、憲法を侵害していると表明しているのだ。

だが、それを無視して、この国の政治が平然と行われている。会期延長と維新の党の巻き込みで、形ばかりの体裁を整えようとしているようだが、どうのような手練手管を使おうとも明らかに、民意に反し、憲法軽視、いや無視が行われているのだ。

こんなことがまかり通っている国は、近代民主国家といえるのだろうか。いや。いえやしない。憲法の成り立ち。近代国家の成立過程を少し学べば子どもでもわかる道理だ。

つまらない小細工やごまかしではなく、憲法を国民的な議論の場に広げ、国の在り方と未来を語り合い、議論するいい機会なのだ。事を急いて、この貴重な機会をつぶし、国民主権の意味や三権分立のしくみ、表現や自由とはなにかを考える場をなおざりにする。

真田幸村を飛ばし、長州を舞台にした低視聴率番組に差し替える。報道からドラマまで、政権の顔色をうかがい、こうした当たり前のことを議論しようとしない。

無駄で、くだらない。そう思う。だが、先ほど述べているように、この政権はいい議論の機会をくれたのだ。当事者たちの、無駄でくだらない思惑は別にして、それをどう受け止め、どう対応していくのか…

それは、いまこそ、私たち国民ひとりひとりにゆだねられている。