秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

そこには本気しかない

社会の実状や生活の現実といったものを知るために、必要なことがある。
 
それは、そのとき、もっとも社会的に不利益を被っている人や制度やしくみから取りこぼされている人たちを知ることだ、見ることだ。

あるいは、紛争や内戦、戦争、被災、事件・事故といった不条理に飲みこまれている人たちの現実を知ることだ。

ただし、同情や憐憫とった情緒や心情で、無知な正義を振り回したり、熱に浮かされたような一時の怒りに身をませないことだ。つまり、表層的な情感の物差しだけで現実を見ようとしないことだ。

それら不利益や不条理を知るためには、自分は安全なところにいて、部外者や評論家や学者のように、高見からそれを眺めていてはできない。
 
そうした、不利益や不条理は、いつでも、自らにふりかかり、その中に自分自身が放り込まれてもおかしくない…という共有の想像力を持ち、みつめなくてはならない。

他者の出来事ではなく、自らの出来事、あるいは、あらゆる生活者にふりかかりえることだと考えられる視点や視座、視野がいる。市民協働、地球市民の感覚だ。
 
マスメディアがよくやる、実状をわかったような大方の軽薄な理解や悲劇の当時者として声高に不利益や不条理を訴えたり、その代弁者を気取って地域のためにと言葉だけで叫んでみても、広く多くの人に現実が共有されることはない。
 
逆に、小賢しく立ち回っていると避けられるのが落ちだ。冷静に現実を透徹しようとすれば、知るための代償を求めない、無償の行動が起き、その知ろうとする姿勢は自ずと謙虚になる。

研鑽や学習は、金銭的な代償を求めていては身につかない。ただ金の算段をしているだけに等しい。無償の知への欲求が先にあり、その気概と姿勢にお金がついてくるだけのことだ。

被災地でいま、いろいろな取り組みが立ち上がっている。だが、果たして、その中で、地域だけではなく、広く社会や他の地域、あるいは世界から共感を持たれる取り組みはどのくらいあるといえるだろう。

震災からの復興や復旧という言葉だけに頼り、国から配分される助成金や支援金を湯水のようにばら撒かれて、なんだこんなことのために、国民の税金が使われているのかと不信や疑問を抱かせる事案はじつは少なくない。

そうしたことが起きてしまうのは、国政はもとより、行政の姿勢や体質にも問題があるが、せっかくの教訓を生かせず、国や行政、政治家に頼る、この国の国民の体質から少しも抜け出てていない、地域にもともとあった、独立自尊、自主自立の気概の欠如だ。

今日の早朝、NHK福島で6月に放送された、『畑の味のレストラン』をNHK総合が全国放送した。いわきで一日一組限定のフランス料理レストランを経営するオーナーシェフHさんの震災後からの取り組みを追っている。
 
じつは、いわきMOVEのメンバーにもなってもらっている一流シェフ。
 
彼が番組の中でこんなことを語った。

「これからの料理人としての人生を、
地元の野菜や食材を使い、そのおいしさを伝えることに費やしていきたい。それが、震災前まで、地元の食材にしっかり目を向けていなった、料理人としての自分の罰だと思うから…」

料理人としての罰…。私はその言葉に目がしらが熱くなった。
 
切実さと真摯さを内に秘めた、覚悟と決意は、無償の願いだ。それは透徹して、美しい。要領よく、計算して…といったものとは程遠い、そこには本気しかない。