秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

Sweat Dreams

どうしたことか、思春期の頃から、来年の計や抱負といったものを信じていない。

人のいのちなど、明日どころか、数分後、数時間後、どうなるかわらかない。どうなるかわらかない先のことに、確かな計や抱負があるわけがない。あるとすれば、もし生きていたら、こうしたかもしれない、こういう努力を惜しまなかったかもしれない…
 
その程度のことでしかないのではないか…そう思ってきた。
 
そして、いまもそう思っている。無事、つつがなく、明日がくることが理想だが、そればかりを信じていていいのか…という疑念が常に私にはある。
 
しかし、それはへそ曲がりでも、ひねくれ者だからでもない。
 
そうした疑念を携えながら、できうれば、こうあろう、こうしようとするから、計にも抱負にも真実味が生まれるような気がするのだ。そして、だかこそ、そう思うだれかが、道半ばで倒れたとしても、後に続く者が生まれてくると思っている。

容赦なく明るい笑顔というのはすてきだ。だが、その容赦のなさが、危うさを伴うことがある。なにかを見過ごし、なにかを傷つけることもある。
 
未来は明るくあってほしいが、容赦ない明るさからだけ、未来はつくられるのではない。いろいろな人間の不条理、自然の不条理を飲みこんでこそ、未来はつくられていくのだ。
 
先日、ヘトヘトに疲れて、8時にダウンした。午前1時に目を覚ますと、アメリカ制作のドキュメンタ―「Sweet Dreams」をやっていた。1994年、ルワンダで起きた、ツチ族フツ族との間に起きた80万人にも及ぶ大量虐殺を伴う内戦とその後のいまを描いている。

これまで同じ村に住んでいた者が父や母、兄弟、夫や妻、子どもを殺害し合う。その傷は20年経っても癒えるものではない。当時、少女だった彼女たちには、レイプされて殺されかかった女性もいる。避難民になって、常に殺戮の恐怖と共にある毎日を生きた人も少なくない。
 
じつは、当時、私はある団体の緊急援助事業のひとつとして、ルワンダの難民キャンプへ行き、衛生指導のための映像をつくって現地の難民たちへ衛生教育を手伝ってもらえないかと相談を受けた。もちろん、いのちの保障はない。私は、いくしかないと心に決めていたが、周囲は猛反対した。

だが、あまりの現地の危うさから、そのプロジェクトは中止になった。安全の確保が皆無だったからだ。
 
あれから20年。ドキュメンタ―で紹介されていたのは、紛争後も貧しさが続くルワンダのある村で、フツ族ツチ族の女性たちが、互いの憎しみを越えて、国内初のアイスクリーム店をスタートさせるまでを追いかけている。
 
欧米のNGO、NPOが事業の実現に多大な努力をしているが、その目指すところは、彼女たちの自立だ。また、彼女たち自身、自分が受けた悲惨の傷と向き合い、そこから脱却するために、自らの意志と決意で経済復興への道を歩み出さなくてはいけないと感じている。
 
ある現地のリーダーの女性がいう。「今まで私たちは夢さえみることができなかった。あまりの悲惨の経験ゆえに、そんなことはできはしない…とあきらめることばかりしてきた」
 
「だから、いま夢を持てること、それ自体が、もう夢を実現したのに等しいのです」。

ここにはいくつかの教訓がある。ひとには、どのような厳しい環境にあっても、人は自立によってこそ、自尊感情を持ち、自ら歩み出せるのだという確信だ。
 
そして、もうひとつは、心の傷から逃げ続けるのではなく、その現実を人とのつながりの中で、見つめ直し、仲間と共に乗り越えていくというPTG(Posttrumatic Growth)
外傷後成長の典型的な事例だ。
 
現実に、人とふれあうこと、集団の中にいることに強い抵抗と恐怖心のあった女性は、店が始まり、自分たちの仕事の社会的影響と貢献を感じるうちに、「いままでは思いもしなかった自分になれた」と語る。そして、彼女は、あの忌まわしい記憶のあった、自分の生まれた村に、家を建てることを決意していく。

明るい未来とは、そのようなものだと私は思う。キング牧師が世界中の苦しむ人々、闘う人々に投げかけた演説の冒頭の言葉。それは、それまで夢すら見ることが許されなかった人々が夢、想像力を持つことで、未来は変えられると宣言する言葉だった。
 
 
ほとんどの人たちが、今日で仕事納め、来年1月5日仕事初めという人だろう。その年の瀬と、新年に、ぜひ考えてもらいたい。あなたのしあわせのために、みなのしあわせのために。
 
あなたにとってのSweat Dreamsを…。