秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

技術と知恵

かつて、NTTが推進したFネットというものがあった。現在のインターネットが普及する前のことだ。

私は、それを茅野市観光協会に提案したことがある。茅野市内に入ると、コンビニでも、スーパーでも端末があり、それにアクセスすると瞬時にスキー場のリスト待ち時間や客室の空き部屋情報が把握できる。

しかも、ユーザー登録しないと、利用できない。つまり、個人情報を収集できる。

私がFネットに着目したのは、囲い込みだ。これまで個人データとして収集できなかった、スキー場利用者、飲食店利用者、ゴルフ利用者を地域情報にアクセスさせることで、囲い込みが可能となる。

さらに、彼らだけのための情報、彼らだけのための特典…それを設けることで、マイFネットになっていく。それが同志的コミュニケーションサークルをつくることもできる…。

もうおわかりだろう。いまでいう、SNSだ。

これを思いついたのは、いまから30年近く前のことだ。だからこそ、私は、facebookが出現したとき、ふるえるほどの感動を覚えた。

私が企画したと取り組みは、販売会社、NTTをも巻き込み、ホテルでのプレス発表の段取りをしながら、事業主体である茅野市の観光連盟が日和見った。地域の別荘にいる識者が、これからはインターネットの時代だとメディアの変換の時代がくると教えたからだ。

それは正しい。だが、その後、インターネットが広く普及するまでに3年以上の時間が必要だった。まして、当時のインターネットにSNSの発想はなかった。せいぜい、MLくらい。私が想定していた囲い込みには程遠い。

そして、SNSが人々にとって、重要な囲い込みと相互コミュニケーションとツールとなったのは、過去5年ほどのことだ。

もし、あのとき、先駆的に、Fネットが予想しない活用を実現していたら、現在のSNSの先駆的取組として脚光を浴び、かつ、インターネットの登場時から、SNSの必要性と近未来を予言していただろう。

人々は、いまある技術をひとつの目的やそれが生まれた要因でしかとらえない。だが、技術には、いまは見えないが、これから使い方で未来を先取りできる潜在力がある。

私のような技術屋ではない人間がそれをいっても、聞く人はいない。だが、技術屋ではないからこそ、見えるその技術の運用の先駆性はあるのだ。

もし、そのとき、これからはインターネットだといった識者にその視点があったら、インターネットの時代がくるではなく、私が予見したSNSの時代がくるといえただろう。

技術に大事なのは、いまの利便性だけではない。それを他に応用する知恵であり、発想だ。

いま世界にあふれる先駆的技術やナントカ開発は、いずれ古くなる。だが、それをただ追うだけではない知恵こそ、本来は、技術なのだ。

それが見ない限り、アベノミックスなどという稚拙なまがいの経済用語に人々は翻弄され続ける。