秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

田舎暮らしの知恵

物事を理解する。物事を創造する。そこには、二つの道がある。

本来の特性、特徴、いわば、本質にこだわり、いかに本物であるかを生きる道。もうひとつは、本来の特性、特徴、本質をより生かすように、アレンジを加える方法。

物事を生きる道は大方、二つある。

前者は、地味ながら、かつ、あるがままをどうあるがままにとらえ、提供するかが問題になり、後者は、新しさを本質を見失わずに生み出すことができるかが課題になる。

見た目のかっこよさ、斬新さは後者にあり、前者には、武骨さや不器用さがどこかに漂う。

いずれがいい、悪いの話ではない。

だが、私たちの社会は、いや、私たちだけではなく、豊かさの追求を前提とする資本主義の発展と成熟を生きる社会すべてが、時代をひらく道は、後者にこそあると考え、現実にそうしてきた。

本質にこだわり、あるがままをあるがままにとらえるためには、時間がかかり、しかも、本物足らんとする道は長く、地味だ。ある意味、斬新さのために費やす時間や手立てのコスト以上のコストがかかる。

豊かさをいきわたらせるために、大量消費を前提とした大量生産のしくみがいるのも、前者ではコストがかかりすぎるという理由が根本にある。

しかし、私や私と同世代、近い世代の人間なら実感しているはずだ。成熟した消費社会が決して人々を幸せにはせず、本質や本物を見る目、知る力を失わせていったことを。

それに気づけていないとしたら、それは、あまりに学習が足りない。いまの社会、あるいは、世界の現実に疎く、無知だ。しかし、現実には、まがいものでもそれと気づかない人たちが増えている。

星岡茶寮の顧問でもあり、多彩な才能の持ち主だった、北大路魯山人

あれほどの美食家が一番の贅沢で、好物だったのは、うまい米を上手に炊き上げたごはんとうまい味噌を上手につかった味噌汁。それに、漬物だったという。

これほどの贅沢はない。だが、それがいかにうまいか、うまくあるためにどれほどのコストがかかるか、そして、そうあるための心遣いがどれだけいるか…それがわらかなければ、そこらへんのちょっと名の売れた店で大金を叩いて、事足りて、その現実が理解できない。

この間、知り合いの女性が田舎暮らしの食事をFBにアップしていた。とりわけ、高価なものではない。だが、平凡で普通の生活がつくってきたそれらの食材と食材をもっとも生かす、ていねいで手間暇のかかる料理は、それ自体がいまでは高価なものだ。

私たちは、そろそろ目覚めた方がいい。武骨といわれようが、田舎くさいといわれようが、そこにあった日々の生活と生活の知恵が生んだもの。平凡で、平坦とみられがちな中にある、本質のすばらしさ。

すでに成熟社会に到達してしまった社会や国が、次の道を歩む方向をみつけるとしたら、そうしたこれまで捨て置いていたものを振り返り、見つめ直すことしかない。

少なくとも、いちはやく、成熟化を遂げたヨーロッパ諸国はそれに気づき、成熟化を遂げられなかった中東は、本来の自然主義へのこだわりをいろいろな齟齬は生んでもどこかで守ろうとしている。

いつまでも、豊かさを求めて成長発展ができ、それを拒み、抗うものは、軍事や札束でケリをつけられるという愚かな考えには組みしないことだ。

アメリカを手本とする時代は、世界ですでに終わっている。それはいいかえれば、都市を見本とする道といってもいい。

田舎暮らしの知恵を生かそう。