秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しいことの前

企画書や脚本、提案書や団体資料、会議資料…私の仕事に文書制作はかかせない。

ワープロが登場し、やがて、PCの一太郎になり、そして、マイクロソフトの時代がきて、ワードが主流となった。悪筆の私は、自筆で原稿を書いていたころは、字が気に入らなくて、文章そのものをつづるまでに相当の時間が必要だった。

興が乗ってくると、悪筆だろうが、なぐり書きように一気呵成に書き進めるのだが、それまでは、書いては捨て、また書いてを捨てを繰り返す。原稿は当然遅れる。

ワープロからPCに変わってからは、書くスピードが驚異的に上がった。

英文科の学生時代、当時付き合っていた女性から使わなくなったタイプライターを借りて、独学で英文タイプを覚えていたのがよかったのだ。

映像の編集も、いまではPCが主流。かつてのように、専門の編集スタジオ、ホストプロでないとできない時代ではなくなった。

一挙両得を考える私は、やがて、文書も、動画の編集も、はては、WEBも、すべて1台のPCで処理するようになっている。

その分、スペックも、CPUも、容量も大きく、これがなくては、仕事の大半がやれないという状態になっていた。

それが、福島へ事前準備の打ち合わせで出かける前から調子が悪く、とうとう、修理に出さなくてはいけない状態になってしまった。

大事なデータはすべてではないが、大方ハードディスクにコピーしているから、なんとかなるのだが、日々のメールやアドレス登録をマメにコピーしていないので、一部、脳の記憶が欠落したような状態になっている。

また、画面が大きいとPCに向かい、物を考える視野も広がるのだが、ノートでは、どうしても、視野に限界がある。

今月中盤から来月後半まで、委託事業の関係で、画像や動画の処理も発生するのに…

だが、これもいろいろな過去の記憶やデータを見直し、いらないものは省き、これからに必要なものを選択するための機会をもらったと思おう。

しかし、5年ほどのPCが故障しても、部品の供給が終わっているとはどういうことなのだろう。

スクラップ&ビルドが当たり前の時代。古臭いことをいうようだが、ちょっと修理すればまたまだ使えるものが、こうやって、次の機種へ、新しい消費へと身勝手にいざなわれている。

大事なものを失っても、大事なことを見つめることもできず、軽薄に、いまはこういう時代だから…そういう輩が増えている。もったないないもなければ、過去から深く学ばず、いまだけを見て、世界を知ったように思う。

新しいことの前に、知ることがある、学ぶことがある、やることがある。