秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

多くを語らず

多くを語らない。あるいは、多くを語れない。そういうときが男にはある。そう教えられてきた。

男と女に違いがあるとは思わないが、私が生まれ育った九州、福岡では、男があれやこれや言い訳することはみっとみないといわれたし、正々堂々、議論するのはいいが、人の無知や愚かさを侮蔑してはいけないと教えられた。

そうなると、多くは語らないものだといわれている意味もわかり、同時に、だから、男には多くを語れないときがあるのだと理解もできたように思う。

組織や集団にあって、組織や集団への責任を背負えば、そうしたこともあるだろう。また、なにか、自分なりの果たしたい目標や成果があるとき、そうならざるえないこともあると思う。

あるいは、自分が知るなにかのために、だれかのために、これはどうしても実現しなくてはいけない、どうしても反論しなくてはいけない…そうしたときにあっても、目標を達成するために、じっと堪えなくてはいけないこともある。

だが、それをただ忍耐だけでやれといわれても、容易にできるものではない。人は強くこられると、強く返すものだ。鼻っ柱の強い人間や負けん気の盛んな生い立ちの者に簡単に実践はできない。

しかし、視点をかえて、目標を実現するために、与えられた試練だと考えれば、この試練を乗り越えようという前向きな気持ちにもなれる。あるいは、試練となるもの、出来事、人の言葉の奥にあるものを見通していくと、そういう考えしかなければ、自分にとって、桎梏となり、不愉快な言動になるのも無理はない…そう考えられるかもしれない。

福島にかかわってきた、4年以上の月日は、私にそれを教えてくれる旅だった。

そして、そうやって、自分と向き合わされ、落胆したり、失望したり、それでも、つながりの心地よさを捨てられず、やっているうちに、自分の言葉や思いよりも先に、そこにある、言葉や思いを深く理解する努力をした方が、よほどいいと考えられるようになれてきたのだ。

明日からは、中通り会津若松を弾丸で回る。えっ、明日ですか!?と、少しあわてながら、じゃ、待ってますよ!といってくれる人たちの声が笑顔といっしょにそこにある。

いろいろと大変な時代。人生、ままらないことばかりですが、一度、福島に来てみてはどうですか。きっと、手助けではなく、自分が手助けされますからw

多くを語らずとも、道は開けるものです。