秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

文化的なるものの精神

大坊さんの珈琲が飲みたい…。いや正確には、あの大坊珈琲店の茶室のような空間でぼんやりしたい…。

珈琲が飲みたくなるたびに、常にあの大坊の店の匂いがいまでも、毎回、鼻に、脳に蘇る。

と、数週間前、知人が山口市在住の方から、大坊珈琲店で修業して山口で開業したおいしい珈琲店の話を聞かされたという。私のことを話すと、さっそく、開業した店の女性オーナーに常連だった私の話を知らせたらしい。

そして、「大坊さんには足元にも及びません。常連さんと聴いて、緊張しますが、うちの店の珈琲を持っていってご意見を聞いてください」と、粗挽きした珈琲をくださった。

大坊はお湯の温度とドリップの技がいのち。私が自分で入れたのでは、ますます味は遠のく。だが、やはり、うれしかった。さっそく、うちにある布ドリップでいれて、飲んだ。当然、味は程遠い。だが、ほんのり薫る残り香は確かに、大坊珈琲店のものだ。

オーナーが女性と聴いて、思い出すスタッフの顔が浮かんだ。大坊さんの店はおしゃべりをする店ではない。言葉を交わしてもささいなこと。だから、名前も、出身も、なにも知らない。だが、以前、ひっそりとそこにいた女性のことが思い出された。

この国の文化的に充実していた時代。その中心だった青山。大坊珈琲店もその時代に登場し、良識ある文化人や識者に愛された。

先日、南青山美術館めぐりに参加してきたが、岡本太郎秋山庄太郎の自宅を改造して美術館、芸術館がある。この二人も、同じように文化的に充実していた時代の作家であり、晩年は青山を住居としていた。

根津美術館東武鉄道創始者で茶人、根津嘉一郎収蔵の美術品が屋敷を美術館として一般に展示されるようになったもの。大倉や大原と並び戦前からの貴重な個人美術館。

質の高さ、質のよさ、斬新さ。それが文化的に充実していた60年代後半から70年代に青山文化を確立させた。

私が学生時代、芝居の構想を練りながらぶらぶらし、いまもジョギングで走る街の風景は変化したが、まだ、変わらずある風景も少なくない。これだけ時間が経過しても、古びてみえないのは、当時から時代の先頭を走っていたからだろう。

東京オリンピックへ向けて、いま表参道から外苑前に向けた246沿いの再開発が進んでる。そのあおりで、大坊珈琲店もなくなった。

今日、憲法を無視し、国会における議論も無視し、手続きもなしに日米ガイドラインが本来の日米安保条約の補完とは逸脱して政権合意された。沖縄の辺野古も合意事項とされている。

文化的な充実がなくなると、人々から政治への関心は希薄となり、時代に迎合する人たちが増大する。

そこには、残すべき日本の文化的なるものの精神が捨てられ、見捨てられ、切り捨てられる人々を生む。そこでつくられてきた文化も失われていく。

もはや、主権など他国に主張する資格はなくなるだろう。アメリカの51番名の州になりたいのだ。政治、安全保障、経済、外交…すべてが傀儡政権に主権はちゃんちゃらおかしい。文化防衛論を唱えた、三島由紀夫が生きていたら、また、割腹ものだ。

日本文化を知らないものが、日本固有の文化だの、日本の精神文化など声高に叫びながら、日本文化を滅ぼしていく。維新を見れば、わかることだ。