秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

一服の珈琲

表参道にある老舗珈琲店、大坊珈琲店が年内で閉店になる。その話はすでにどこかでしていると思う。
 
いまや出版界の伝説だが、文化出版局の「NOW」という、男のダンディズムを看板にした硬派な季刊誌があった。当時、男性誌といえば、平凡パンチやプレボーイ。当然ながら、セミヌードのグラビアが売り。コミックもあれば、夜の歓楽街情報などもあった。そんな時代に、一切、その類のグラビアや記事は載せない。
 
連載記事やエッセイ、短編小説は、池波正太郎五木寛之、生島治朗、庄司薫星新一岡本好古、植草勘一、オキ・シロー、眉村卓…写真、イラストは沢渡遡、浅井慎平など当時の新進気鋭の作家を使っていた。

ぎっしり文字だらけの記事で扱っているのは、男の作法や流儀、男の小道具、酒、男女の機微をアイロニカルに描いた大人の読み物だった。
 
その中の小さな記事に、当時、NOW編集部のスタッフがみつけたという、硬派な珈琲店が紹介されていた。それを読んだ私は、いまから40年ほど前の浪人受験の3月始め、ひとり表参道のその店にいった。それが最初に大坊さんの珈琲を飲んだ日だ。

バイトと芝居をやりながら大学に通う生活が始まると、なにかのときには、青山まで足を運んだ。ただ、当時の私の生活費では、一杯700円の珈琲はたまの贅沢でしかなかった。だから、学生時代は、中野の「クラッシック」で一杯100円の珈琲ばかりだった。
 
劇団をやるようになると、いま建て替え中の青山のラミアビルにあったジャズのピアノパブで飲むようになり、すぐそばの大坊珈琲店へも劇団のスタッフと打ち合わせでいっていた。じつは、大坊珈琲店では、酒も飲める。
 
お気に入りの店だったから、付き合っていた女性や仲のいい女性はほとんど連れていった店だ。原稿の構想を練るのに、ひとりでもいっていた。とはいえ、頻繁に店にいく機会はそうなかった。サラリーマンの生活をやっている間も、広尾で独立して事務所を開いた頃も、忙しくて、ごくまれにしか、足を運べていなかった。
 
しかし、20年ほど前、乃木坂に生活するようになってから、徒歩でも自転車でもいける距離ということもあって、ちょっとした隙間や渋谷、青山に出たついでにふらりと立ち寄れるになった。

ここは、私にとっては、いつでも、そこに、あのときのままいてくれる、青山そのものだった。大坊珈琲店は青山の変化に迎合しない。あのときの青山のままを生きている…。
 
そして、そこへいくと、単なる珈琲店ではなく、私には、心をなごませ、雑事を忘れさせてくれる、いわば、茶室だった。

品のいい珈琲のにおいに包まれ、静かにたばこをくゆらせて、しばし待つ。
 
ちょっと普通の珈琲店より時間がかかる。それがいい。お点前を待つ時間だ。そして、丁寧に絞られた珈琲が出てくる。出されるのは、ぬるめの濃い珈琲。一番珈琲がおいしい温度になっている。私は40年近く前からブレンドの1番と決めている。それをそっとカップのヘリから飲む…。
 
その瞬間、声には出さないが、ああ…ほっとするなぁ~…と心の中でつぶやく。心が疲れているときは、思わず声に出ることもある。40年近く、寸分の違いもなく、大坊さんの入れてくれる珈琲は味が変わらない。向田邦子さんも足繁く通った店。向田さんはブレンドの3番だった。

変わらないことを突き通した店。だから、店内の装飾もすべてあのときのままだ。本物であろうとし続ける。だから、つまらないことに迎合しない。それが、私にはとてつもなく、心地いい。
 
だから、年内で閉店は、とてつもなく、無念。だが、大坊さんは、わかっているような気がする。それもこの世のあるべき姿。無常。だからこそ、今日の一瞬の一期一会にかけ、一服の珈琲をいまなお、同じ味で出せるのだ。