秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

明日への距離

次の時代、次の世代になにを残せるか。そして、次の時代を生きる次の世代は、そのまた次の世代になにを残せるのか。

世代をいいかれば、社会といってもいい。

その時代に何をしたか、何をえたかではなく、もっとも大事なのは、そこだ。いまある自分の時間や環境、地域、社会で次に何を残せるのかということだ。

それは年齢がいっていようが、そうではなかろうが、共通の課題だと私は思う。

いまの自分の生活や家庭や環境、地域や社会が心地よければいいのではなく、また、心地よくなければなぜそうかのかを考えなくてはいけない。

あるいは、心地いいというのは、じつは錯覚なのではないかと、自分の生活や家庭、環境、地域や社会、もっといえば、世界をみつめなくてはいけない。

そうすれば、いまの成果、いまの損得を考えていては、自分たちに与えられている課題は解決しないことに気づけるだろう。

残すというのは、決して、大仰なことをといっているのではない。自分の生活を取り囲む中にある明日、自分の地域にある明日。まずは、その明日を、2年、3年の先ではなく、もっと遠くの明日を考えるということだ。

明日への距離を遠くにおけばおくほど、いま自分や自分たちがただ、いまを都合よく生きられれば、それでいいのではなく、自分たちの都合よりも大事なものが未来に求められることがきっとわかる。

同時に、自分がいるいまが、遠くの昨日に支えられ、遠くの昨日のだれかやだれかたちの遠くの明日のための取り組みがそこにあることに気づけるだろう。

先々週からTBSで「JIN-仁」の再放送をやっていた。震災前に放映されたあの番組は、震災と震災後の私たちの国のあり方にひとつの警鐘を鳴らしていたのではないかと思う。

昨夜、応援している港区議の選挙結果発表を若い人たちに交じって、待つ間、私は、ふとそんなことを考えていた。

人の為、道の為、国の為。それはいまのそれらの為ではない。遠い明日のためのものだ。