秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

神話と三文小説

世の中には、UNTOUCHABLEがある。

禁酒法時代、現在のFBIが誕生するまでの史実を映画化した『UNTOUCHABLE』は、警察・検察・裁判官まで買収、恫喝し、司直が手も足も出せなかったカポネの領域に果敢に挑んだエリオット・ネスを描いている。

だが、司直の手が及ばない、一般社会の常識が及ばない世界というのは、アメリカのマフィアやシンジケートばかりではない。

権力や富、既得権を持つ人間は、その権力や富、既得権をあらゆる手段を使って守ろうとする。あるいは、組織や団体は、組織や団体に不正や不具合、不条理があっても、組織や団体への忠誠を求め、それに反抗する者には、容赦しない。

UNTOUCHABLEが生まれるところには、必ず、理屈の通じない身勝手な常識や人や地域、他の団体、組織の尊厳を蹂躙する理不尽さを歯牙にもかけない人たちがいる。

表向きは、露骨に牙を剥くことはないが、ひとつ非常識や理不尽さが通じてしまうと、果てしなく、それは拡大し、継続する。結果、その手にした権力や富、既得権はますます増大することになる。

つまり、UNTOUCHABLEは利権のある、あらゆるところに存在し、それに逆らうということは、業界、社会からの放逸を含め、さまざまな意図された障害や困難を与えられてしまうということだ。

平等や平和や安全安心や…等しいチャンス。だが、その内実は、あらかじめ、あがらうものは、そこから排除されている。

それを怖れるように、UNTOUCHABLEな世界はつくられ、従順で、そこに組みした方が安全だという神話によって、隷従をつくっていく。そして、従順で、隷従を選択した者たちが、自分たちの安全を守るために、神話に従順になれない者、隷従しない者に圧力をかける。

だが、それは、本来、人々が求めている世界なのだろうか。それは組みした人間にとっても、安心で安全で、平和を感じられる世界だろうか。

世の中には、UNTOUCHABLEを承知することが大人になることだとする奇妙な常識がある。汚い世界もあるのが世の中だとしたり顔でいう大人たちもいる。

UNTOUCHABLEがつくる神話を怯えから、怖れから、あるいは不勉強さからそれをつくることに加担しているとも気づかず、受け入れる。

いじめの世界とそっくりだ。

いまおそらく、既得権や権力にいる人たちは、神話が欲しくてしょうがないのだ。神話の世界にいると、自分も神話をつくるひとりであるという快感に浸れる。神話に寄りすがりたい。

だが、それは神話という言葉にはほど遠く、恥ずかしい。その神話は人々を幸せにも、安心にも導かないからだ。それは神話ではなく、神話の仮面をかぶった、品格も人としての美しさもない、ただの茶番な三文小説だ。

そこでは、道化たちがタキシードやパティドレスで外見だけを装い、踊り慣れてないダンスを育ちがいいように見せかけて、踊ってみせている。権力と富に目をギラギラさせながら。

いま私たちの国は、たくさんのUNTOUCHABLがある。福島、沖縄、格差、孤立死自死、貧困、少子高齢社会、青少年の暴力、事件、子どもや女性への暴行、セクハラ、いじめ、外国人差別、うつの増加…

本当の神話は、それらに向き合い、未来に禍根を決して残さない選択と取り組みを始めることだ。