秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

全力疾走

これまで、どれだけの人を悲しませ、不安にさせ、傷つけ、そして、失望させてきただろう…

同時に、これまで、どれだけの人に喜びを与られ、励まされ、救われ、そして、助けられてきただろう…

あるいは、意図してであるか、本意であるか、不本意ではあるか、無頓着にであるかは別にして、いくらのかの人に悲しみを感じ、不安にさせられ、傷の痛みをもらい、そして、失望してきたろう…

だが、すべてを差し引いても、おしなべて、悪人や理不尽な人はごくわずかだったはずだ。悲しみや不安、傷や失望を与えた人たちには、それなりの理由があり、そういう出会いをしてもおかしくない、自分自身がそのとき、どこかにいたはずだ。

人を攻めることも、人のせいにすることも、出来事や事象、現象に責任を求めることはたやすい。

だが、振りかえてみれば、そして、深く思慮すれば、いろいろな出会いも、出来事も、結局は自分が招いている…

人は属性、つまり、社会的な立場や地位、所属や帰属、生活の質と差を取り除いてしまえば、そんなふうに、気づきを持てるものだと思う。

しかし、素直にそう思えるものを大人になり、属性を身に付けていくほどに、つまらない競争心や世間体や体裁、見栄…そして、欲が素直さを阻んでいく。

阻んでいった先に、さらに、それに気づけることが、本当は成長というのかもしれない。人生の落差の多きかった人ほど、学びが深いのは、きっとそのためだ。

だが、そのときには、人にはあまり時間やチャンスが残されていない。

だから、人の死には、いくつであっても、無念が付きまとう。せめてできるのは、そのバトンをだれかが受け取ってくれることを期待することくらいだ。

受け取ったぼくらは、だから、できる限り、全力疾走しなくてはならない。

だが、なまけちゃうんだな、これが…w そして、また、だれかがやった過ちを繰り返す。