秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悲しみの拡大解釈

たとえば、東日本大震災がこの国を襲ったとき
 
それは、1896年明治三陸地震以来、私たち日本人が経験したことのない大規模なものだった。明治三陸沖では、死者不明者21,959人。3.11は、死者不明者約19,000人。その後の震災関連死を入れると20,000人を越える。

死者不明者の数の問題ではないが、それだけの被害で、私たちは多くの生活を失い、生産を失い、そして流通を破壊され、なによりも、人々の心に決して消すことのできない深い傷と悲しみを残した。
 
そこには、死者不明者としてではなく、家屋の倒壊や半壊によって生きる場を失われた人々、原発事故によってふるさとを奪われた人々の数を加え、被災した人々の縁者や親戚、あるいは友人、恋人、それぞれの広域行政で暮らす人といった関係者を計算にいれると、ゆうに300万人を越える人々の心に大きな重荷を残している。

20000人の人々のいのちと30万人以上の人々の生活が失われて、それだけの悲しみが人々を襲うのだ。
 
かつての戦争で、300万人の戦死者を出したとき、日本人の大半がその悲しみを共有させられ、だが、その悲しみも怒りも明確にぶつける対象がなかったことを考えてもらいたい。
 
その悲しみの根源にあるのは、理不尽にいのちを奪われることにある。本来、震災や戦争がなければ、生き続けられたいのちが、ある日、突然、亡くなる。それがなければ、奪われなかった生活がある。
 
震災や戦争がなければ、続けられた日常がある。その喪失感が人々を絶望の淵へ突き落す。
 
しかし、同時に、いまアメリカ社会の大きな問題となっている、湾岸戦争イラク戦争帰還兵の問題がある。人を殺すことを当然とする戦場で、殺人ができる人間となった兵士たちが、心を病み、銃乱射事件やレイプ事件、社会不適応障害を次々に発症している。

ベトナム戦争終結の時と同じことが、いまアメリカが抱える最大の社会問題のひとつなのだ。イラクの内戦の勃発によって、アメリカは得たものなどないに等しい。国家として、社会として失ったものの方が圧倒的に多いのだ。

いまアメリカはブッシュというおバカとおバカをコントロールしたネオコンが起こした根拠なき報復戦争の傷を引きずり続けている。

これだけの国民の犠牲が心身共にありながら、戦争をよしとしたのは、戦争があることで利益を得る人間たちがいるからだ。利益によって国民のいのちを犠牲にする政治家たちがいるからだ。

私たちの国は、世界で唯一、非戦の決意をした。個別的自衛権だけで、それも使わず、国際社会で勇気ある立場を得ようとした。そこに、危機を煽り、国際情勢が云々を持ちこむのは、理念にも精神にも反する。
 
地上戦という悲惨と原爆という核の悲劇と…、誤った選択への反省が生んだ、世界に類のない理念と精神。それが日本国憲法だ。
 
こうすれば、すり抜けられる。こういう文言ならごまかせる…。そうした次元の話ではない。
 
この国は、理不尽な死による、悲しみと傷と憎悪を拡大させようとしている。