秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

信じて問え 信じて示せ

人は、よく、外見や学歴で人を判断してはいけないという。いけないといいながら、じつは、外見や学歴といった、いわゆる属性を基準として人を判断している。している人が、じつは多い。つまり、口先だけだ。
 
そこで、外見や学歴、いわゆる属性で判断されていると痛感している人たちは、学びへの意欲を阻害され、そう思われているのなら、そう思われたままでいい…と自分も、そして人も見限る。
 
相手が口先だけだということを見抜く力は、そうされてきた人はしっかり持っている。裏切られたり、騙されてきたからだ。
 
人を育て、人の意欲、動機づけを生み出す力は、そうした世間が当たり前にしている人の属性を基準としたところから自由にならなくてはいけない。

だれにもで、どんな人間にも、何事かを学びたいという欲求は自然の発露としてあり、それをくじけさせないで育んでいくのに、属性はいらない。だれにでも、どんな人にでも備わっている力を信じるところにしかない。

信じて問えば、信じて示せば、だれでも、どんな人間でも、自ら学び、考え、行動する。そうした期待や信頼をえられてこなかった…と思っている人ほど、自分の属性に関係なく、そう思われたことが喜びとなり、必ず変わっていく。
 
だが、この世の中、人がそのように変わるという姿を見たことのない人ばかりだ。当然だ。信じて問うたことも、信じて示したこともないからだ。また、自分自身が、世間の属性の評価ばかり気にして生きているから、人々のそうした心情も見えない。

いろいろなところ教育の取り組みや教育にまつわる事業がされているが、やっている人間にそうした心の広さや深さ、教育というものへの信念を感じさせるものは、じつは少ない。

13日から16日まで午後から夕方まで集中ワークショップをやった。片付けなければいけない仕事は溜まっていたが、それはその後の4日間で片付ける覚悟を決めて、ある事務所のまだ、未熟といっていい俳優たちのために、無料で実施した。
 
わずか数日のワークショップで、しかし、すっかり初日とは変わっている。もっと学びたい…口々にその言葉が飛び出した。
 
いままで彼らが、どのように周囲から見られ、その見かけで十分の対応もされずにきたのか、あるいは、十分学習と経験を経た指導者から適切な指導を受けてこなかったが、それだけでもわかる。
 
世間の肩書や権威、地位や学歴や名声…そんな当てにもならないものからは、なにひとつ新しいものは生まれてこない。かりに生まれたものに、なにか素晴らしい属性があったとしても、それは結果論にすぎない。

属性にしがみつく社会は、それにしがみつく人間そのものを貶めることでもある。自分たち自身が誇りや矜持を投げ捨てて、だれが、誇りと矜持ある文化と社会を築けるというのか。