秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ほつれた糸

家族関係の中でのボタンの掛け違い。今日、江戸川のあるお宅にお邪魔して、そんな話を聞いてきた。

だが、多くの家庭が、多かれ少なかれ、どこかにボタンの掛け違いがあり、そこから生まれる、いろいろな問題をひきずっている。

家族の歴史が長くなればなるほど、当初は、深い溝や傷にならなかったものが後々、大きくなるということがある。そして、時間が経過する中で、その最初にあったボタンの掛け違いを忘れ、物事を複雑にしかとらえられなくなる。

それがほつれた糸を解くのを難しくするのだ。そ
れは他人事ではなく、私にとっても深く心当たりのあることだ。

親や親族、家族に感謝はあっても、最初の肉親との出会いのように、つまり、掛け値なしに子どもが生まれたときの感動や親の見守りを感じられたときの心地よさや…

あるいは、この人しかないと深く心揺さぶられた異性との出会いの感動とそれがつながったときの喜びに、リセットすることがなかなかできない。そこには、心のしこりがある場合もあれば、家族や肉親、縁者であるがゆえの自分の心をあからさまにすることの抵抗がある。

やさしい言葉や感謝の言葉だけではなく、逆に、つっけんどんな言葉や文句や不満をぶつける言葉でも、じつは、その中に、互いへの気遣いや思いがこもることがある。それを見逃さなければ、つながり直す道はあるのだが、近しい分だけ、その気付きを遠くするのだ。

だが、からんだ糸をほぐすのに、遅いということはない。高齢になっても、最後の時をからんだままで終わるのか、つながりの修復やリセットはできなくても、ほぐせたという安心感は、すべてに人にやすらぎを与える。

もちろん、私はまだ道半ばで、それができないでいる未熟者だ。だから、いろいろなほつれ、からんだ糸に戸惑う人の姿を見せられ、教えられている。