秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

掛け違い

子どもの頃、シャツやカーディガンのボタンを掛け違えたまま学校へいった経験にある人はいるだろう。女子よりも男子に多いに違いない。
 
幼い頃から女子は女性だ。身だしなみは親も男子より気にかけるし、女子本人も気にかける。いい歳になれば、男子も女子並みに身だしなみに気を付けるようになるが、次に、そこにセンスのありなしが入り込んでくる。そうなってくると、女子、男子の性別の違いだけでなく、品性といったものが加わってくる。
 
この国は、過去20年ばかり、戦後から今日にいたるボタンの掛け違いに気づかないまま、どうもこの服は動きにくい、なんかヘンだ…とあれこれ無策なことをやってきた。戦後まもなくから、自分自身がやっているボタンの掛け違いにも、世界の中で重要な立場になり、いい歳になっているのに、服装をそれなりに変える教育とそれによる品性もないまま。

子どもがそうであるように、それは単に、子ども本人が悪いだけではない。そのヘンな服を着させたままの大人=アメリカがいるから始末が悪い。同時に、そのヘンな服を着たまま、それが心地よいといっている大人子ども(アダルトチルドレン)がうじゃうじゃいる。
 
自立を阻んでいるのは、無策さではない。無自覚さと無知さだ。決して、アメリカと対立しろいっているのではない。対等に立ち会える技量を磨けといっているのだ。無知さと稚拙な無邪気さでアジア諸国と対立し、軍隊や核装備をもてばいいなどいう戦争オタクのようなアダルトチルドレンでいるなといっているのだ。

堅固な意志とそれを伝える豊かなコミュニケーション力と、それによって自ら尊敬と信頼を勝ち取り、世界のどの場面でも、国内のどの地域でも、人々からあの人なら大丈夫だと思われる確かさを示すことだ。
 
政治家や政党に頼るでのはなく、一時の話題やただよく知っているからといった軽薄さと決別し、30年後、50年後、自分という人間がいなくなったあとの人々のために、自分を捨てて、道を拓くことだ。それほどに重く、大切ないまを生きているのだということを、市民自身が自覚することだ。