秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

リセットボタン

新年を迎える。
 
だが、2015年は、そこから始まるわけではない。2014年も、2013年がなければこなかったように、2015年も2014年がなければこなかったものだ。
 
ファミコン時代からネトゲの時代へとデジタルエンターテーメントが普及して、まるで、すべてはリセットすれば、そこから新しくことが始められるような錯覚が、デジタルネィティブの世代を中心に広まっている。
 
だが、現実はリセットできない。
感覚としては、ボタンひとつで、過去を消去し、検討すべき課題や問題をスルーして、何事もなかったように、ここをスタート地点にして生まれ変わりたい。そう思う。
 
そうすれば、いままでもよりもっとうまくやれるだろうし、面倒な問題と向き合うことも回避していける…。あるいは以前より、もっとうまくやれる…。
 
人はそう思い、課題への挑戦や自らの信念や理念によって、問題と向き合うことが不得手になっている。
 
だが、所詮、人は、いままでの生き方、言動、ふるまいと無縁な行動はとれない。私たちは、幼児期から少年少女期、思春期、青春期において、すでに、「行動様式」を家庭、地域、社会といった成育環境の中で、身につけてしまっている。

ドイツの社会学者マックス・ウェバーは宗教とはなにかと問われて、それは「行動様式」だと答えた。いわゆるエトス(ethos)だ。英語だとethics。倫理・道徳といった、行動の規範となる基本にあるものを指す。
 
大仰なことではなく、食のあり方、洗顔入浴、トイレ、身体所作…私たちのあらゆる日常にじつは、エトスは存在する。イスラームとキリストでは食文化が基本的に違うように。洋式のトイレが普及したのは、アジアでは数十年前のことであるように…。

そこで培われた、エトスは行動様式を通じて、その生き方、言動、ふるまいを精神的にも決定していく。
 
だから、簡単にリセットしようとしても、自分自身の行動様式、エトスを根本から変更しない限り、リセットはできない。

人は、次はうまくやるから…と思うだろう。だが、自分の行動様式を他者から批評され、よりよくあるための変更点を素直に変更できない限り、次にうまくやることはできないようにできている。

それでもきっと、人々は、ありもしないリセットボタンを探し続ける。愚かしいともいえるが、しかし、それが人間のおかしさでもある。リセットボタンだと思い、押してしまうと、過去をすべて消し去ることもあるかもしれない。
 
蓄積のない人間は、過去の奮闘の傷や痛みが見えない。そんな人はつまらない。
 
2015年も、戦後70年のこの国の傷と恥と弱さ、先送りされた課題の積み重ねの上にあるのだ。

みなさん。よいお年を。よいお年はそれぞれのものなので、なにがよいお年かはわわらかないが…あなたにとって、自らを恥じない年であってほしい。
 
そして、幸せであってもらいたい。