確かな言葉
なにかの目標を持ち、ひたむきに情熱を傾ける。そうした時間は濃密であるがゆえに、濃く、振り返ると長くも感じ、同時にその時間は短くも感じる。震災があったから、そうだったのではなく、そのような時間を生きれば、だれもが感じることだ。
だが、東日本大震災は、個人のそうした感じ方以上に、この国の地域というもののあり方、社会のあり方、国のあり方を考え直す、多くの教訓と示唆を与えてくれている。それが決定的に違う。
震災から4年、被災地には歪な復興が生まれ、被災地内格差、仮設住宅内格差、被災者間格差が広がっている。同時に、原発事故被害を抱える福島は、放射能汚染のとらえ方、現状理解の差異と、補償や助成金も絡んだ、奇妙な風景が生まれている。
単に復興や復旧、再生のための支援というひとくくりの言葉で、物事が前へ進むわけでも、なにか確かなものが生まれるという状況ではない。
いま、言葉が問われている。言葉を成り立たせる行動が問われている。
情にながされただけの言葉。情に訴えるだけの言葉。怒りにまかせただけの言葉。苦難や苦労を訴えるだけの言葉。国政や行政だけを当てにした言葉…。言葉の装いの向こうに、透けて見える利己がある。
それらが共感や応援の輪を自ら壊し、地域の前へ進む道を遮り、進んだとしても、また、これまでのように、都市や政治や大企業に依存する地域の姿へ後戻りさせる…
国民も、世界の国々も、良しにつけ、悪しきにつけ、福島を見ている。その目は、もしかしたら、福島の人が思う以上に辛辣で、鋭い。それらに、なにがわかるか!と反駁する人がいたら、それは本気で福島の50年先、100年先を考えていない人なのかもしれない。
わかった。ならば、おれらはこうする。この道をゆく! 見てろよ、10年後、20年後、50年後、100年後! だから、おれらは険しくてもこうするんだ! そんな言葉を求めている。
例年なら、この時期、いわきにいる。最初の福島との出会いの場所だ。そこにだれも縁者や知り合い、友人のいかなかった私は、いまその海の近くで慰霊日にかかわりなく、仕事で、まちづくりで、地域の整備計画で、小学校で、日常を取り戻す毎日を生きるたくさんの人たちと知り合い、友になり、家族ようになっている…。
私は、そこで、10年後、20年後、50年後、100年後がこうあるべきだと語ったことは一度もない。それを考え、実行し、形にしていく主人公はその地域の人たちだからだ。
私はただ、それをみまもって、できることでサポートしているに過ぎない。
いまにしっかりかかわれなければ、明日はつくれない。だが、同時に、10年後、20年後、50年後、100年後の未来を持たなければ、いまはつくれない。
明日は、東京で、震災4年のイベント、「東日本大震災を忘れない」に参加してくる。
明日は、東京で、震災4年のイベント、「東日本大震災を忘れない」に参加してくる。
MOVEの仲間で、独自に新宿を拠点に東北支援をしている団体の活動。そこで、私の短編作品を上映していただくことになった。
その作品に、言葉にして、そんな私の思いは描いていない。だが、言葉を行動にする中で、出会えた作品だ。描かれている作品世界に、福島の未来は言葉で描いていない。だが、そこに、未来は描いてある。映画を観て、それを感じてもらえたらと思う。
その作品に、言葉にして、そんな私の思いは描いていない。だが、言葉を行動にする中で、出会えた作品だ。描かれている作品世界に、福島の未来は言葉で描いていない。だが、そこに、未来は描いてある。映画を観て、それを感じてもらえたらと思う。
日常のことば…確かな言葉は、じつはそこにこそある。