秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

私から始める

ちょっとバタバタと、一作品の編集を終わる。
 
東映のスタッフの方から異口同音に、私が被災地に4年近くもいっているのだから、監督のつくりたいものではないかもしれないが、防災とまちづくりの作品をまとめてみたら…といわれのは、9月のことだ。
 
先月、中通りの取材にいったついでに、いわきへ回ったのは、じつは、その防災とまちづくりの現在を復興協議会の方や地域の方に取材するためだった。

4年近くになる活動の中で、浜通り中通りの取材映像テープは1時間もので、30本は越える。その中から、防災やまちづくりにかかわるものは、一度も作品としてまとめてない。
 
いまの状況を取材した映像と以前のそれらを一気にまとめた。
 
だが、当然なのだが、これが防災の知恵だ…というものは結局なかった。いや、そもそも、そんなものはありはしない。
 
あるのは、やはり、地域づくり、地域をどう建て直すかに尽きるのだ。それは被災した地域であれ、そうではない地域であれ、同じことだ。
 
若年層の流出と少子高齢化は、被災があったから生まれているわけではない。ただ、加速されただけだ。おそらくは被災がなかったとしても、その状況は早晩、来た。
 
そして、現実に、他の地域、たとえば、限界集落化が進んでいるトップランナー集団のひとつ、徳島県においても同じことだ。いや、いま、なんとか、世代のばらつきを維持しているところでさえ、いずれ、同じ課題に直面する。

世代のばらつきがなければ、そもそも、防災など成立しない。防波堤や高台移転、緊急時の避難場所といったハードは整備できても、そこへ誘導する人、警報と呼びかけのできる、動ける世代がいなければ、本当の防災は成りたない。

動ける世代がいるということは、その土地の産業、とりわけ一次、二次産業が成立するということだ。もちろん、海のように資源の変動と枯渇の問題はある。
 
しかし、それでも生きるための知恵を働かせることはできる。だが、そもそもそこに動ける世代、次を担う人々がいなくては、なにも始まらない。
 
地域産業があれば、地域の伝統文化も守れる。伝統文化が守られるということは、地域の教育力も高まるということだ。教育力が高まれば、また、そこに地域産業を支える、あるいは促進する人材が生まれ、循環型の地域づくりが定着してく…

が、しかし。福島の場合はそこに、原発事故の線量の問題が大きく横たわる。
 
その不安や心配…それらが杞憂の部分、過大な被害認識だったとしても、それを払しょくするほどの魅力を創造するには、ただの防災対策、まちづくり計画では、じつは覚束ない。
 
それでも…というなにかを生み出していかなくてはいけない。私が、地域再生ではなく新生、復興支援ではなく、協働という言葉遣いにこだわる理由はそれだ。

そしてこれは、単に福島の問題ではなく、これまで散々、都会のために食も人も、あるいは性も提供してきた、地域というもののあり方を根本から考えなおす好機でもある。
 
地域だけのリソースによって地域が成立した時代はすでに終わっている。地域間がそれぞれのリソースを持ち寄り、連携する時代へと世界は変わっている。

それに目覚めない限り、地域の自立はない。よく考えてみたまえ。戦後69年。自民党政治の中で、地域がよくなったことはただの一度もない。もっといえば、維新後の中央集権の中で、地域が自立できたことは一回もないのだ。

よくなったのは都市、あるいはそれを目指す地域の小都市。いまやその都市の中でさえ、格差が広がっている。もちろん、自民以外にどこがそれを果たせたかといえば、それもない。
 
だから、いっている。既成政党に頼らず、行政に頼らず、市民が連携して力を発揮できる地域づくり、国づくりを自分たちから、私から始めよと。