秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島弾丸取材トラベラー紀行2

東京でも、地方でも、被災地支援のイベントの開催が減っている。今回、浜通り中通りをまわりながら、異口同音に聞こえてきたのは、その言葉だった。
 
マスコミでも政治がらみや政策がらみ、原発事故関連で被災地の情報を流すことはあっても、かつてのように仮設住宅の被災者や借り上げ住宅での生活を依然送っている人々、あるいは、再開、再建のできない生産加工業者や働く場をえられない人々、家屋の修復もままらならない人々の姿を映し出すことはなくなっている。

つまり、生活者への、そこに生きる人々への関心が潮か引くように遠ざかりはじめている。同時に、被災当時やその後とは違った事情も地域には生まれている。

震災当時からいい続けていることだ。被災者と簡単に一言で片づけてしまうが、被災者はひとつではない。被災地域が抱える課題もひとつではない。ひとりひとりの生活がいろいろにあるように、地域の事情や実状がさまざまであるように、人々が受けた生活の試練も、心の傷も一応ではない。

だが、政治もマスコミも、最大公約数をとるような対策や情報の把握の仕方、提示の仕方しかしない。あるいは、原発事故のような特質した一部の事情や状況にしか対処しない。

結果的には、それが歪で、手の届かない情報の把握につながり、それがまた、歪で手の届かない対策となり、現実に無力ということが起きている。そして、そこからこぼれる人たちは、最大公約数ではないがゆえに、人々から忘れられ、置き去りにされていく。
 
震災後からいままで、いわきを軸に福島県内を訪ね、その中で、このブログでは書けない震災後の不条理さや理不尽な出来事をいくつも耳にした。また、オレ自身が知っている人間がその理不尽な出来事に巻き込まれたと知ったこともある。
 
言葉をなくし、心が空洞にされたまま、スーパーひたちの座席にひとり座っていたのを覚えている。

その頃から思っていた。震災から時間が経過するにつれ、ステージは変わる。そして、そこでは、被災地という枠組みに限定されない、人間と人間の確執や誤解、それに基づく、軋轢や対立が生まれるだろうと。
 
満たされていく者と満たされない者…。満たされていることに満足できな者と望む満たされ方でないことに反発する者…。いままでと違う人との距離感。そこから生まれるうっとうしさや煩わしさ。それらが生む排除の要求…。
 
震災後は成立した美名だけの絆や心をひとつにといった、あまっちょろい感傷では掬いきれない現実。その中でも、清廉な精神、人としての矜持や誇りを保ち、現実に向い合っていけるのかが問われるときが来るだろう。そう予感していた。いま福島は、まさにそうした時期に来ている。

 
その現実にどうかかわって行けるのか。どういう心のあり様であれば、かかわっていけるのか…。次へ向けて、オレたちMOVEが、あるいは、ひとりの人間としてオレ自身がどうあるべきなのか。福島は、今回もオレにそう問いかけていた。
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