秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

箱膳と卓袱台

地域にも、家庭にもよるが、55歳以上の世代しかわからないかもしれない。

時代劇や戦前までのドラマを注意して観てもらうとわかるが、戦前まで、私たちの食卓は箱膳だった。

ひとりひとり別の膳で、膳の下には、箸、お椀が収納できるスペースがある。映画「たそがれ清兵衛」の朝食風景で、朝粥を食べ終えた清兵衛が、茶碗に白湯をそそぎ、残った一枚の沢庵で、茶碗の内側を洗う。そして、沢庵をかみ、椀を洗った白湯を飲む。

終ると、そのまま椀をひっくり返し、箱膳の下に収納する。不衛生と思うかもしれないが、水が貴重な時代、それで食器を洗うのに替えていたのだ。

私の幼い頃も、父が最後に茶碗に白湯を注ぎ、沢庵で米をこそぐと、その白湯を飲んで終りにしていた。

明治の父母に育てられた大正末期生まれの父にも江戸から続く、その文化が残っていたのだ。もちろん、お嬢さん育ちだった母は、そのあと、流しできちんと洗っていたが。

ちなみに、江戸時代までは、一日の食事は、二食。朝と昼または、夕のみで、午後3時に菓子などの間食をとった。いまの三食+おやつになったのは明治以後のことだ。江戸までは朝食が基本食になっていた。

戦後になって、アメリカの食文化が一気に入ってくると、それまで箱膳だった家族の食卓は、卓袱台に変わる。

多くの人が卓袱台は、日本の戦前からの食卓だと勘違いしているが、これは、西欧のダイニングテーブルを日本家屋の畳や板張りの部屋でも使えるように、足を短くして誕生したのだ。戦前からあったが、広く普及したのは戦後。

この家族の食卓の風景の変化が今日の家族の問題にひとつの影を落としている。

不登校、ひきこもり…。あるいは子どもの家庭内暴力、逆に、児童や女性への虐待。濃密な閉じた関係の中で生まれる、これらの問題と、それへの不適切な対応…。そこには、個と個の距離感を保つ箱膳の世界と家族で団子状態になる卓袱台の世界の違いが関係している。

もうひとつは、日本家屋にあった縁側の喪失。

家内を密閉せず、外へ開くのが縁側だった。私的空間と公的空間が入り合う場が家族の密閉性を回避する術だということを日本家屋は経験的に知っていた。縁側が失われること、家庭は密閉され、社会との関係を遮断できるようになった。

人々の流動性が高まることで、この密閉性は訪れる者にとっても、受け入れた側にも次第に都合がよくなっていく。近隣の煩雑で、面倒な関係から逃避できるからだ。

密閉された家庭では、個の存在を意識した箱膳から、距離が濃密な卓袱台な世界が存在する。そこに家族間の強い依存と執着がつくられ、それがエロス的対立、密着ゆえの暴力を創造してしまう。あるいは、密着しているがゆえの無視、ネグレクトが生まれる。

家族関係が崩れていくと、これを疑似的な人間関係、疑似的家族関係によって代替えしようとする。だが、そこにも、疑似とはいえ、家族的エロス関係を前提とするがゆえに、同じように対立や暴力、そして支配する側とされる側の関係がつくられていく。

密閉された家屋であろうが、卓袱台の世界であろうが、多様なかかわりを家族、家族を構成する人々がそれぞれに持っていれば救いがある。だが、いまは、それが経済的基盤や裏付けなしにできなくなっている。社会とのつながりを持ち、維持するのに、コストがかかるようになったからだ。

本来、これを補完するのは、様々な社会的リソースでなくてはいけない。だが、そのリソースを動かすにもコストがかかる。

社会を支え、それを活力あるものにする基本に、家族、あるいは世帯がある。私がそこにこそ、税は十分に振り向けられなくてはいけない…というのは、いまいった事情によっている。

小さな家庭、家族の話と思うことなかれ。この基本と現状が見えなければ、いかなる国家観も、いかなる国家像も絵に描いた餅、絵空事でしかない。そこで論じられる議論も、なにひとつ、現実を変え、創造する力にはならない。