秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いい式だった

葬儀、結婚式といった、祭事に参加していて、いつも思うことがある。
 
「いいお式だったね…」という言葉があるように、祭事にも、心に残るものとさほど印象に残らないものとがあるということだ。

なにかの家族の式典というのは、必ず、そこにその家族の姿が投影される。

式というのは、家族のことながら、そこに親戚縁者から近親者、仕事や学校、地域の人というのがかかわってくる。
 
人目に披露し、場合によっては地域社会や業界といったより広い世界に知らせるものだ。だから、あれこれ見栄や体裁にもこだわれば、見かけにもこだわるだろう。
 
だが、それは当然あったとしても、日々の家族のあり方、親の生き方、子どもへの教育、もっといえば、社会との距離の取り方、向かい方、姿勢や思想というのが映し出されるものだ。

かつて、『病院で死ぬということ』というベストセラーになった本があった。末期医療にかかわる医師が自分が担当した患者の死に行く姿、ふるまいのレポートだ。

そこに、医師と患者という立場を越えて、人間として尊敬できるある男性患者のことが書いてあった。

息を引き取ってすぐ、そこに居合わせた妻や息子、娘たちが、すでに覚悟はできていたのだろう、静かに、取り乱すこともなく、「お父さん。おつかれさまでした。ありがとうございました」と深く頭を下げたくだりがある。

医師は、そのとき、改めて、この亡くなった父親がどのように日々を生き、妻子と普段どのようにふれあい、心を通わせていたか…そして、妻子もこうしたときにどういうふるまいであるべきかをわきまえている。その姿に強く心を打たれるのだ。

親がどのように仕事に向かい、仕事を通して社会とどう向き合い、かつ、そこでの体験や思い、矛盾や成功…そうしたことをどう家族に伝えているか、伝え合っているか…当り前のことのようで、それがきちんとできている家庭はじつは少ない。

いま、いろいろなちぐはぐなことやおかしなこと、それは政治や社会といったものだけでなく、自分たちの生活環境、地球環境の中でも起きている。

そうしたことに、どうきちんとした理念や考えを持ち、また、人のふるまいとして、それをどう理知と礼節に満ちた言葉と行動をとっているか。それを育むのは家庭だ。

人として信頼され、尊敬され、同時に、他者の尊厳を尊重し、愛し愛される関係をつくる基本は家庭にある。親が育った家庭にもあれば、いま親自身がつくっている家庭にもある。

今日、甥の結婚式に参加しながら、そんなことが頭をよぎっていた。いい式だった…。