秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

世界への縁側

社会参加や社会奉仕、社会貢献を当然とする社会…高度経済成長から消費社会、そして低成長から成熟した社会へ到達した、次にあるのは、本来のその姿だ。
 
もっといえば、自分の生活というものの充足、満足を求めるものから、自分の生きる地域や社会という枠組における安心や安全へ、そこから、自分の生きる地域や自分自身の生活を越えて、世界へと目が向くのが、高度に情報化され、かつ成熟した社会が次に迎える、あるべき姿だ。
 
すぐに、地球規模につながらないまでも、それぞれの生活者の生活意識の中に、実は深く自分たちの生活が社会や世界と結びついているという事実が見えてくれば、否応なく、人は世界を意識し、実感するようになる。
 
成熟化のあと、人は一旦、次への目標を見失う。その段階では、制度のきしみやそれが生み出す軋轢、既得権とそれを変えようとする新しい生活意識やビジョンとがぶつかり合い、せめぎ合いをやる。しかし、それも、もはやかつてのような高度成長期のような一枚岩の社会ではないことがよくわかっているからだ。
 
そのきしみや軋轢、対立や齟齬、あるいは、足の引っ張り合いと虚勢と虚勢のぶつかり合いの中から、やがて、次を見出そうとしているのだという自覚が生まれ、その意識が視野を次第に広げ、世界へ向けていく。
 
同じ世界を見るでも、過去の成功事例や成功体験、あるいは単なる幼児帰りのような懐古主義から見る観点もあれば、そうではなく、過去の遺産の中から、次への道標、次へのヒント、次への隠れた指針を見つけ出し、再構築して、飛躍させ、新たに生み出すに等しい新生を目指す観点もある。
 
当然ながら、この対立によってさらに社会の迷い、個々人の惑い、不安が生まれる。フランスの社会学者デュルケムがいうアノミーがくる。経済的な不安や生活・健康の不安があっても、それだけで自死を選択することにはならない。だが、この社会的不安を底流として、いくつかの不安が導引されると自死率は急速に高くなる。
 
日本はまさにこれを象徴するような10年を生き、さらに、いまアジア近隣諸国との軋轢を起点として、世界への眼がバイアスのかかった偏狭なナショナリズムによって、じつに歪になっている。ヘイト・スピーチが公然と行える時代に入っている。
 
実は、この次へ向かう過程に起きる、歪さは、一枚岩になれない限界の中で、それでも一枚岩でなければならないという不安動因と無縁ではない。現実に、10年以上前から不登校といじめの問題が子ども社会の中で顕在化し、画一性と同調圧力の中で、異なるものへの排除、スティグマによる社会的なパッシングは恒常化していた。
 
それは学校内にとどまらず、家庭内におけるDVから男女交際におけるDVといった歪曲した姿で顕著に表れていた。企業内ですら、セクハラ、パワハラモラハラといった暴力が日常的に存在し、家庭内、学校内、あるいは組織内で圧縮された歪さは、通り魔事件や動機なき殺人、疑似家族的つながりの中での殺人や暴力(リンチ)といった形で表象され、逆に、他者へ向けられない圧縮された歪さは、自傷、ひきこもり、あるいはうつ病という形でこれも表象されている。

同時に、そうした画一性と同調圧力によって排除された側が、十分な自己回復のチャンス、人の出会いにめぐまれず、今度はその社会的劣等感からヘイト・スピーチや他者へのスティグマによって抑圧された自己から開放されようとする憎悪の連鎖も生み出している。

学校でも、家庭でも、企業内においても、その日常の中では救済しえない表象が多数存在し、恢復への有効な手段がみつからない。それは、それら学校、家庭、企業あるいは組織、集団がつながりと連携を希薄にしていることがひとつの大きな要因なのだ。
 
それぞれが閉じた世界にあり、外部や異なる分野とのかかわりを失い、自己充足を目指すようになっている。私が地域力の再生が必要であり、生活から失われた、あるべき日常の復権が必要だというのはそこにある。
 
そして、その地域力の再生と日常の復権に、ソーシャルネットワークがいくつかの問題点を持ちながらも、有効に機能するという期待を与えた。
 
いうまでもない。閉じた世界を飛躍的に外へ広げる導線と情報交流、交換するための滞留空間(私は、第4空間と呼んでいる)を持ちえるからだ。
もちろん、ソーシャルネットワークだけでは、それは達成されないし、現実感を実感できないだろう。いくつかの現実的な仕掛けや取り組みがいる。

しかし、それが立体的に構築され、いくつかの生活空間と生活意識の空間とが連携していけば、さらには、多様な社会的リソースがそこに融合していけば、不可能なことではないと確信している。
 
かつての日本家屋には縁側という社会へ開く空間を意図して、家庭内に家庭が閉じないために、担保していた。学校や企業という組織が、地域内の地域が、そして地域が社会に対して閉じない。そこにいる個人が閉じない。そのための意図した、しくみがいる。
 
Smart City FUKUSIMA MOVEは、じつは、そのひとつの挑戦でもあるのだ。だからこそ、次に英語版をと考えている。福島からバイアスのかかっていない、世界への縁側をつくる。