秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

すり替え

自己責任という言葉が広く使われるようになったのは、小泉政権以後だ。だが、実際には、高度成長期の終わり、消費社会が到来した頃から自己責任論は叫ばれていた。

戦後から高度成長期の中盤まで、私たちの生活は一部の人間を除き、ほぼ同じように貧しく、同じような生活課題を抱えていた。その点において、社会は寄り合い所帯であり、自己責任よりも、寄り合い所帯の質を高めることが直近の課題だったために、だれかをスケープゴートするような自己責任による他者批判は少なかったといっていい。

それよりも、制度やシステムに対して、寄り合い所帯の質を高める総意としての要求を行政や国政、権力にしていた。その点、社会に戦前からあった、相互扶助の形式が残っていた。

ところが、高度成長によって、ほぼ多くの人の生活の先行きが見え、消費社会の到来とその後のバブルが起きると、そこについてこれない者、こぼれていく者に対して、すごぶる冷淡になった。

そして、ここに到達できないのは、そいつの努力が足りないからだという自己責任論が浮上したのだ。数年後、空白の20年が来ると、その改革のために、ネオコン新自由主義が導入され、競争とそれによる格差を当然とする考えが自己責任論を膨張させる。

それは同時に、護送船団方式によって、寄り合い所帯を維持するという経済のしくみ、いわば優秀な社会主義体制から、自由競争を前提とする自由船団方式、つまり、市場原理主義へと経済の姿がアメリカ型に転換する始まりだった。

しかし、これは、単に経済のしくみとその基本概念としてだけ終わらず、社会生活全般における、ついてこれない奴の自己責任、失敗する奴の自己責任、挫折する奴の自己責任へと拡大、転嫁された。

これを背景にして、福祉弱者、教育弱者、生活弱者、コニュにケーション弱者の切り捨てが当然とされる社会がつくられていく。

これは同時に、治政の矛盾、問題点、課題を見る眼を衰えさせ、社会にあふれる「弱者」を対岸の火としてカッティングオペレーションしてしまう時代を到来させている。

社会から弱者や敗者、失敗者を排除する人心の情動は決して珍しいものではない。また、過剰な救済や過剰な支援は自立を妨げる。だが、それでも立ちいかないという状況を底辺で支えるものがあってこそ、社会における安定は担保されているのだ。

他者への無関心、格差やそれによって生み出される弱者のカッティングオペレーション。あるいは、社会問題からの逃避は、自らの生活の安定をも放棄することにつながる。

問題のない社会はどのような政治制度、経済体制においてもない。あって当然なのだ。だが、そのあって当然の問題、課題を正当に議論の対象にしない社会は、政治経済ばかりでなく、品格と品位のない社会でしかない。

沖縄の問題、福島の問題、経済・地域間格差、地域内格差、外交の偏り、歴史認識の歪曲、表現や報道への圧力…そうした問題、課題を前に、人々は、わずらわしい議論を避けるか、声あるものを排除するか、旗振りをして身を守るかの醜い選択しかしていないのではないだろうか。

自己責任は、そうやって、自己保身の言葉にすり替えられる。