秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

届く言葉

人になにかの思いを伝えるとき、自分の言動がどのくらいの人に、どう届いているかを実感するのは難しい。
 
悲観的な人は、どうせだれも自分の話なんか聞いてはくれない…そう思うかもしれない。あるいは、聞いてくれても、理解なんてしてないでしょ…と傷つかないための予防線を張るかもしれない。
 
一方で、楽観的な人は、いやきっと届いているはずだ…と思い込もうとし、じつはさほど届いてないことを理解できないかもしれない。
 
そして、より楽観的な人は、届いてない人もいるだろう…反応しない人、反論を持つ人、いろいろいるだろう。だが、発信し続ければ、きっと、なにがしか多くの人に届き、こちらの真意が伝わっていくはずだ…と考えるだろう。

人には計算やかけひき、自己保身や羞恥心といったものがある。だから、自分が思っているとおりに、人が受けとめてくれるわけでも、自分が思ったとおりの人ばかりではない。
 
かわいそうな人を演じることも、つらい人を演じることも、同時に、明るい人を演じることも、人はやる。人は傷ついているからだ。
 
言葉にできないなにかがあるとき、人は何も語らなくなり、人との連絡を途切れさせる。それは傷の場合もあるだろう。人に言えないは恥ずかしいなにかかもしれない。

本当のことや本音を人は語らない。そんな時代だから、人へなにかを届けるのはとても難しい。

だが、人を疑い、人を怪しみ、人を恨み、人を陥れるような言葉より、人を信じ、人をいつくしみ、人を敬い、人と共にある言葉の方が、きっとその人の道は輝くと思う。

そうでなければ、きっと自分自身が苦しくなる。吐き出せないものを抱えるのが人だ。だが、吐き出せないままでは、届く言葉とも出会えないし、届く言葉を持てない。

23日から今日まで、たくさんの誕生日祝いのメッセやメールをいただきました。ありがとうございます。すべて、しっかり受け止めさせていただきました。