やっとわかるようになっていた
人の明日はどうなるかわからない。もっといえば、5分後、10分後さえ、本当のところはわからない…
私は、思春期の頃からそう強く思うようになっていた。
つつがなく、平穏無事で、昨日と同じ今日、今日と同じ明日がくればいい、いや、来るはずだと人は思う。
あるいは、昨日より、もっといい今日、今日よりもっといい明日にしたい…そう願っている人もいるかもしれない。
だが、足るを知る人も、足るを知らない人も、いずれもそうしていられるのは、わずか5分後も、いまと同じ暮らし、健康、収入、人間関係が続くと思えるからだ。
災害、事故、人災…過失、不注意…。日常というのは、いつでも喪失する。
紙一重のところに、私たちの毎日はあり、明日がある。その意識があるからこそ、人は、「ありがたい」(有り難い)という言葉を持っている。
だが、怠け者で、感謝の薄い私たちは、その「ありがたい」毎日と人とを忘れる。いつもある、いつまでも続くと思うから、えり好みもすれば、好き嫌いや損得ばかりを考える。自分の都合の悪いもの、気に食わないものには、感謝で頭を下げられない。
災害、事故、人災…過失、不注意…。日常というのは、いつでも喪失する。
紙一重のところに、私たちの毎日はあり、明日がある。その意識があるからこそ、人は、「ありがたい」(有り難い)という言葉を持っている。
だが、怠け者で、感謝の薄い私たちは、その「ありがたい」毎日と人とを忘れる。いつもある、いつまでも続くと思うから、えり好みもすれば、好き嫌いや損得ばかりを考える。自分の都合の悪いもの、気に食わないものには、感謝で頭を下げられない。
感謝の思いもないくせに、言葉や態度だけ、ありがたいというのは、金銭や物に執着し、そのために上面だけ、そうしている。
それは、まさに、私自身にもあることだ。
昨年末、急の仕事が来た。年始早々から、その打ち合わせと調整作業で頻繁に仕事のクライアントさんと会っていた。
すると、その方から、もっと謙虚に…とありがたいご指摘を受けた。秀嶋さんの魅力が下がるよ。主旨はそのようなものだった。それでいながら、私の仕事に期待してくださった。
その方が今日、大腸がんのステージ4と診断されたと知らせがあった。自覚症状があったのかどうかは知らない。おそらく、昨夜はひどい下血があったのだと思う。
その方が今日、大腸がんのステージ4と診断されたと知らせがあった。自覚症状があったのかどうかは知らない。おそらく、昨夜はひどい下血があったのだと思う。
仕事の中止よりも、私はその方との出会いが大事だと思った。身近に、それほど深く長い付き合いでもないのに、苦言を言ってくれる人は、たとえその瞬間、素直になれなかったとしても、決して、縁を途絶えさせてはいけない…
そこで縁を失えば、自分の世界はその限りで終わる。それがやっと、この歳でわかるようになっていた。