できるかな、じゃないの、できる!
映画や小説のネタというのは、じつは、どこにでも転がっている。
「事実は小説よりも奇なり」…だれもが知っているこの言葉、実は、イギリスの詩人、バイロンの「ドン・ジュアン」の一節だ。Fact is stranger than fiction.
今日、撮影の打ち合わせで、蒲田のテナントビルにある数件の店舗を回った。そのひとつは、年末、クライアントと予算打ち合わせで訪ねた店。撮影対象のネパール料理店だ。
今日、撮影の打ち合わせで、蒲田のテナントビルにある数件の店舗を回った。そのひとつは、年末、クライアントと予算打ち合わせで訪ねた店。撮影対象のネパール料理店だ。
その店のオーナーに撮影のための事前取材をして話しながら、どこかで見たような気がするな…とふと思った。だが、ネパール人やインド人の面相を正確に覚えられるだけの彼ら民族との面談の経験が私にはない。
そうこうしているうちに、この10年の間に都内各所にできたインド料理店の話題になった。
「乃木坂にもあったんですよ。わずか3年で閉店したけど。内装が豪華で、地上入口には、インドのマハラジャの屋敷の門まで誂えて、お金をかけてすごかった。料理はおいしかったけど、南青山の乃木坂の、しかも地下店舗で経営が成り立つのか…じつは心配していました…」
私がそういうと、彼は、なんだよというふうに相好を崩し、「その店、兄がやっていて、私が支配人してた店ですよ!」
なんでも、乃木坂の店を閉店して、他にあった兄が経営する蒲田の店と川崎の2店舗の店は維持しているらしい。しかし、弟の彼は、それを機に、独立して蒲田に店を持ったというのだ。
なんでも、乃木坂の店を閉店して、他にあった兄が経営する蒲田の店と川崎の2店舗の店は維持しているらしい。しかし、弟の彼は、それを機に、独立して蒲田に店を持ったというのだ。
私がどこかで見たような気がするが…と感じたのは、当りだった。
この広い東京で、普段、まったく立ち寄ることはない、仕事で通うようになった蒲田で、まさか、乃木坂でたまにランチにいっていた、店のマネージャーと出会うとは思っていない。
この広い東京で、普段、まったく立ち寄ることはない、仕事で通うようになった蒲田で、まさか、乃木坂でたまにランチにいっていた、店のマネージャーと出会うとは思っていない。
青山の店はダメだった。当時の借金を毎月兄は支払っている。だが、わずか3年でも東京の一等地である青山でがんばったことは、兄の誇りになっています…彼はそういった。
だが、乃木坂での失敗の反省は生かしている。蒲田は、サラリーマンもOLもいるが、一歩奥に入れば、住宅街が広がっている。
おじいちゃんやおばあちゃん、子どもたち、家族みんなが来てくれる場所で、彼は最初の一歩を踏み出したかった。
ワインリストもすごかった。イタリー、フランス、チリの赤、白の著名銘柄をそろえ、ネパールカクテルなど手のこった女性向けの飲み物も出せるようにした…
イスラームの人でも食べられるように、食材はすべてコーランに従った肉や収穫野菜しか使っていない…
イスラームの人でも食べられるように、食材はすべてコーランに従った肉や収穫野菜しか使っていない…
それでも夜のディナーでは苦戦が続いてる。だが、彼はいう。「できるかな、じゃないの。できる、そう考えるの、ぼくは。そうすれば、きっとできるから」
この仕事、じつは私になにかを教えてくれようとしている。帰りに、小津安二郎や溝口健二がいた蒲田撮影所あとを案内された。
この仕事、じつは私になにかを教えてくれようとしている。帰りに、小津安二郎や溝口健二がいた蒲田撮影所あとを案内された。
できるかじゃないの、できる…。私もそうやって、ここまで生きてきた。時折くじけそうになりながら…。できるかじゃないの、できる。その心を失ってはいけないな…と自戒。