秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

鬼は外

物事がうまく運ばないとき、だからこそ、人はいろいろなことを考えられる。だが、人は物事がうまくいくことばかりを願い、いわゆる不運や不幸に遭遇しませんようにと祈る。

長い目でみると、順風満帆な人生など、世界のどこにもないし、あるように見えているだけなのだが、どうしても、どこかに苦労のない生活があると幻想を抱く。
 
もちろん、その裏側には、日々の生活の中に、不安や不満、そして、これまで経験してきた幸せとは思えない時間があったからだ。

平穏無事な毎日がとりあえず、そこにあることのありがたさよりも、あれもしたい、これもやりたい…あれもほしいし、これもほしい…そうした物足りない思いの方が人には勝る。つまり、足るを知る…ということができない。
 
自分の人生がうまくいっていない…思うようにいかないというときは、大方、自分のいまのあり方やこれまでのあり方に不満があるからだ。つまり、言葉では、感謝をいいながら、それが心に落ちていない。

自分が得をしたというときに、感謝を言葉にする人は多いが、自分が損をして、感謝を言葉にできる人は実に少ない。損をして、愚痴をいい、不満をいい、陰口をいい、悪態をつく。つまり、汚れた言葉で自らの口を汚し、心を汚す。当然ながら、そんな人のところに、いい時間やいい人、明るい兆しが訪れるわけがない。

いやいや、私はそんなことはやっていない…だれもがそう思う。だが、物事がうまくいかないというのは、自分が気づけないだけで、どこかで、自分で自分を汚している。そして、だれかを汚し、傷つけている。

お天道様は、ちゃんと見るところは見ている。来週後半からは、寒修行。寒さに震えながら、何かを向き合えば、オレもそんな心を退治できるだろう。
 
福は内、鬼は外は、鬼にマメを投げる言葉ではない。自分の中にある自分自身の汚れに投げるのだ。