秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人の縁というのは、待っていては広がらない。かといって、やみくもに、縁を求めて、人に会っていれば、そこに確かな縁が広がるわけでもない。

人の縁を最初に求めるのではなく、自分のやるべきこと、果たさなくてはいけない何事かの責務や使命を感じなくては、縁とは結ばれていかないものだ。

仕事のため、何かの利益を求めて、それを責務や使命と感じて、そうする人もいるだろう。あるいは、自分の仕事を都合よく進めるために、何かの利益をえるために、意図して人の縁を手繰り寄せようとする人もいるかもしれない。
 
だが、そうした人との縁の結び方に、私は、あるときから関心がなくなった。仕事のためにいろいろな縁を持とうとすることを私も40代の始めまでは意図していた。
 
しかし、仕事のため、自分の利益のために、人の縁を追っていると、どうしようもなく、疲れを感じるようになったのだ。本来、そうした人との縁の結び方は得意ではなかったのもあるだろう。
 
社会人としてビジネスマンとして、大人として、それは身に付け、かつ行動できる人間でなくてはいけない。そう思い、そのためのスキルも学んだと思う。だが、そうしたことの一切は、所詮、自分のためや自分が帰属する組織のものでしかないし、そうした利害関係で結ばれた縁というのは、じつに脆いということを知った。

ひとつがうまくいかなくなれば、また、次のひとつを求めて、何かの縁を求める。時間の経過やときどきの事情、都合によって、利害関係だけで結ばれたつながりは、翻弄される。
 
それよりも、自分が社会的にこうしたことが必要であり、そのためであれば、損得は抜きにしても、行動できる…というもののために、人と縁を結ぶことの方が、はるかに揺るがない。そう確信したのだ。

よく考えれば、至極、当り前のことで、人と仲良くなり、互いに思いを共有できるのは、高校生や大学時代に、何の利害関係もなく、ただ、それぞれの生きる志を違いはあっても共有した人間ばかりだ。

若いうちは、その後の時間経過の中で、疎遠になったり、互いの生活の変化で、それをいまに継続するといのが難しい場合がある。
 
だが、年齢もそれなりになり、社会的にもいろいろな発言や意志が通せるようになれば、そこで出会う縁や自ら求める縁のあり方に質を問い、それからの残された時間を共にできる人間との縁をつくり出す方がいいと思う。

いわき市でのいろいろな縁の始まりもそうだったし、それを発端に広がった福島県域の人とのつながりもそうだった。

そして、そこで始まった、打算のないつながりは、いまさらに、広がろうとしている。
 
私はいま、MOVEの社会事業としても、私の仕事の一端としても、これから、メンタルケアを導入した世代間交流のタウンミーティングやワークショップをひとつの軸にしようとしている。支援やサポートといった上からの目線ではない。
 
つながりのあり方を現実に即して広げる。それを通じて、福島に限らず、置き去りにされない地域のあり方を市民が考え、創造する道を求めたいのだ。
 
それには、まず、人と人の縁。つながりを腰を落ち着けてつくりあげることだ。
 
20日いわき市夜明け市場さんさでの会話。
 
つっこみどころ満載のKさん 「だって、まだ2年と少しですよ、オレたち」
私  「ほんとだよな。最初からこの調子だったけどw 濃密な2年と少しだよな」
飲まないとっていて、飲んでしまい出来上がったOさん「いや。だから、偶然じゃないんですよ。会うべき人が会ったってことなんですよ」
 
そして、頷き合う、広野町の元神童と福岡生れながら、佐賀鍋島藩おぼっちゃまくんと秋田佐竹藩の流れを組む、いわきのボンw