秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

奥さんのパンツ

寒風の中で自転車を往復一時間半飛ばすというのは、結構体力をつかう。
 
毎年の年中行事だが、未明に起きてのこの行事。さすがに年々、体力的につらくなっている(笑)。
 
別にだれかにそうしろといわれたわけでもない。それが決まりというわけでもないのに、なんとか体力の続く限り、自転車を使って行事に参加したいと勝手に決めている。
 
オレを押し出してくれるのは、自分の身近で、いつも自分を支えてくれている仲間、家族、秀嶋組に縁のあるスタッフ、俳優への感謝の気持。あるいは、いろいろと相談に乗ったり、悩みを聞かせてもらっている方たちが少しでも元気になってくれて、幸せになってくれたらという思いがある。
 
別にオレが寒さや睡眠不足になって、自転車で体がくたくたになったからといって、それが叶うわけでもない。だが、自分以外のだれかのこと、何かのために、年に一度くらい、体にしんどいことをやってみるのも悪くないと思っている。
 
普段、人にやさしくできていない分、周囲への感謝や愛情をふと忘れている分、せめて、そうしたことでもして、置き忘れている人への思いを振り返りたいのだ。
 
昨日はとりわけ、中高年の男性連中と朝から夕刻近くまで、仏事に携わりながら、あれこれ話をした。
 
中小企業で役員をやっているある方は、リーマンショック後の不景気で年に1週間ほどしか休めなかったという。これから先、まだ厳しいようなら、自分たち役員の報酬カットだけでなく、社員の給与のカットも了解してもらわなくては危機を乗り越えられないかもしれないと話されていた。
 
すでに引退された方も年金暮らしの大変さを冗談めかしに話されていた。
 
それでも、まだ元気で、ぽつぽつと仕事のある自分、年金生活ながら、明日に困らない生活ができていること自体がありがたいのだと、愚痴のあとには、いまの与えられた苦しい状況を感謝の気持ちで受け止めようという思いにあふれている。
 
倒れた奥さんの介護をやりながら、参加している責任者の方は、奥さんが失禁したときに、奥さんのパンツがどこにあるかも知らない自分に気づかされたと、これも冗談のように語られていた。
 
おそらく、高齢のこの方は、家のこと、家事のことは一切、奥さんまかせ。奥さんの身の回りのことにもまったく関心のない夫婦生活を送ってきたのだろう。また、奥さんもそれが妻としての自分の務めだと、この方にそうした生活の雑事で煩わせることをしてこなかったのだと思う。
 
「かみさんが倒れて、かみさんの友人交友関係を何も知らなかったことに気づかされたよ…」
 
夫婦仲がよくても、実は、そんなふうに互いのことをよく知らないということがある。もちろん、知らないことがあって当然で、すべてをわかろうとしてわかるものでもない。人が心に思うことを人はすべて理解できるわけではない。
 
ただ、自分の身近にいる人に何かあったとき、それを知らないというのは、やはり、人として、どこか忸怩たる思いかられるものだと思う。普段からの会話や雑談があれば、どういう人の輪の中に、奥さんがいたのか、手掛かりがあっただろうに…。
 
その高齢の方は、言葉にはしていなかったが、自分の伴侶とそうした当り前の会話をしてこなかったことを悔いているのだなと直感した。
 
人は、悲しいことに苦難や失敗に出会わないと気づけない思いがある。打ちのめされるほどの大事に出会わないと振り返ることのできない自分がいる。
 
だが、その一つ一つを拾い上げて、捨ててしまっていた大切な思い、見過ごしていた自分の愚かさに気づかなければ、それを糧に変えることもできなのだ。
 
それができる自分でありたいと、睡眠不足の頭の中で、ぼんやり思う。