秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ONCE

今年は例年になく、年末になって、プレゼンや打ち合わせ、会合の予定がバタバタと決まり、残念ながら劇場に足を運ぶことはできないだろう…そう思っていた。
 
ところが、今日だけ、すっと丸一日、何のアポイントも入ってない。4日前にそれに気づき、14日までの公演期間中、そこだけ空いた今日のチケットをあわてて手に入れた。

「ONCE」。2012年トニー賞最優秀ミュージカル作品賞ほか8部門を受賞。グラミー賞ベストミュージカルシアターアルバム賞受賞のブロードウェイミュージカル。
 
じつは、2006年に公開されたインディーズフィルムが原作。制作費1500万円でわずか17日間で制作された無名の俳優、監督たちの作品が口コミで世界に広がり、興行収益20億円の世界的大ヒット作品となった。

題材も、アイルランドの首都タブリンという一般には馴染みの薄い街を舞台に、貧しい音楽好きのタブリナーの男性とチェコからの移民の女性を主人公に、二人を取り囲むタブリンの市井の人たちの出会いと別れを描くという地味なもの。

ダブリンに暮らす、若い彼らにある財産といえば、イェーツやジョイスベケットといった世界的な文学者や詩人を生んだダブリンへの愛着と誇り。

映画の大ヒットもだが、ブロードウェイにかかり、演劇界のアカデミー賞トニー賞受賞は快挙といっていい。

一杯道具の舞台。一杯道具とは舞台装置がひとつだけで場面転換は照明と小道具だけで処理する手法。出演者が常に舞台上にいて、袖にひっこむのは新しい衣装や小道具を必要とするときだけ。登退場も舞台上で処理する。
 
じつは、この演出法は新しいものではない。日本では安部公房紀伊国屋ホールで40年ほど前にやっている。ピーター・ブルックなどもワークショップ形式を使った舞台演出などでやっている。
 
演劇には映像と違って多くの制約がある。その制約を逆手にとって、演劇空間のひとつとして取り込むことで、より演劇的に芝居を構成することができる。演劇でなければできない演出処理だ。
 
それは演劇というものの約束事。たとえば、黒子という歌舞伎の場転役は、見えているのだが、約束事としてそれは見えないことになっている。そうした、約束事。本来なら、見せてはいけない、見えてはいけないものをあえて見せるという手法が演劇にはある。
 
それを主とした舞台。かつ、ミュージカルとはいっても、セリフまでをすべてオペラのように歌唱で処理していない。モチーフとして音楽を目指す若者たちという設定なので、その演奏が折々に入る。ミュージカルというより、音楽劇といった方が正しい。

すべての出演者が楽器を演奏し、それが舞台を回している。アイリッシュらしく、フォークロアな音楽が中心で、陽気であり、かつ、メランコリー。歌唱も素晴らしい。

演劇を学んできたものなら、舞台演出に驚嘆することはない。新規なものはなにもないからだ。
 
それでいながら、観客をひきつけているのは、やはり、歌唱や演奏の質の高さだろう。圧倒的な感動や圧倒的な興奮が起きる舞台ではない。だが、人が人を恋して、言葉にできないいろいろな壁や障害の前で、いとしいままに別れを生きなければならないせつなさは見事に描かれている。
 
おそらくは、ダブリンの貧しい下町や都市の片隅の風景を知れば、そのせつなさは観客により迫ってきたかもしれない。

知る人は、知っているが、私は大学を出るとき、シェークスピアベケットを学ぶために、イングランドか、ダブリンに逃亡するつもりだった。 逃亡計画は母の涙で断念したが…w
 
あのときいっていたら、きっとそのあと、ベケットの足跡を追って、パリへ。また、モスクワ芸術座からニューヨーク、アクターズスタジオへ。日本から消息を消していただろう。

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