VOUGEと田舎者
Vougeは、パリ、ミラノ、ニューヨーク…変わったところではメキシコシティ、リオといった海外の都市の生活情報を紹介している。だが、いいのは、同時にその周辺の田舎暮らし情報、ファーマーズマーケットなどの情報も掲載している視点の取り方。
女性誌だけあって、男性はなかなか目を向けない、センスのいい生活雑貨や暮らしの情報、料理や食材の情報も豊富だ。
だが、食ひとつとっても、Vougeは、先ほどいったように、都市のごじゃれたレストラン紹介だけではなく、その食材の生産地、環境、生産者まで追いかけている。
単なる都市礼賛で終わっていない。ファッションアイテムも、広告タイアップ以外の記事やブランドの特集ページでは、その歴史、素材や製造から、デザイン、加工に携わる職人まで紹介している。
都市を支えている背後にあるもの、それをつながりをもって描くことで、都市の洗練が土や森、海などの自然環境、田舎暮らしの人々によって支えられていることをセンスよく紹介している。
アート情報も女性の感覚や視点から収集、紹介しているので、男の私にはとても勉強になる。
そして、なによりも、ファッションページの写真。
シチュエーションから、ヘアメイク、衣裳コーディネーション、照明、露出、画角まで…一枚の写真にありとあらゆる技巧と技術、そして、コンセプトが圧縮されて、最高の絵画になっている。
私のような映像、写真にかかわる人間には、学ぶこと、確認できること、刺激を受けることが多い。すぐに何かの役に立つわけでも、すぐに仕事に持ち込めるわけでもない。
だが、美術館でいい作品を観賞するのと同じように、ビジュアル表現でいいものに手軽にふれられるという点で貴重だ。
センスを磨く…よく使われる言葉だ。
だが、センスは磨こうとして、磨けるものではない。多くは、親や周囲から受け継いだものが大半だ。もともとの素地がどこかになければ、磨いたからといって、光るものでもない。
簡単にいえば、何がいいもので、何がダサいものかの線引きができない。実際に、センスのある暮らしやセンスのいい日々を生きてはいなかったとしても、素地のある人は、何かを見ただけで、それがいいものか、よくないものかはわかる。
簡単にいえば、何がいいもので、何がダサいものかの線引きができない。実際に、センスのある暮らしやセンスのいい日々を生きてはいなかったとしても、素地のある人は、何かを見ただけで、それがいいものか、よくないものかはわかる。
決して、ブランドだから、高価だから、希少だからという基準ではない。
Vougeの記事がそうであるように、都市的なものに舞い上がるのでもなく、田舎暮らしを見下したり、恥たりするのでもなく、つながりという広い目でそれらを結びつけられるだけの視野と感覚があるかどうかなのだ。
都会の輝きや都市的な暮らしに舞い上がる人には、それはない。また、屈折したコンプレックスを引きずる人にもそれはない。名前や肩書、著名無名にこだわるバカにもそれはない。それは、所詮、都市にいようが、田舎者。
Vougeの記事がそうであるように、都市的なものに舞い上がるのでもなく、田舎暮らしを見下したり、恥たりするのでもなく、つながりという広い目でそれらを結びつけられるだけの視野と感覚があるかどうかなのだ。
都会の輝きや都市的な暮らしに舞い上がる人には、それはない。また、屈折したコンプレックスを引きずる人にもそれはない。名前や肩書、著名無名にこだわるバカにもそれはない。それは、所詮、都市にいようが、田舎者。
そういう輩が、地方を一番ダメにする。田舎者なのに、昨日いったグローバリズムに身を売る輩だ。