秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ジャンボと金太郎飴

ジャンボの就航が終了した。航空業界の実状からすれば、すでに就航を終わっていたJALにみられるように、遅いくらいだったろう。
 
大量輸送によるコスト減と効率化。高度成長の真っただ中に登場した、時代の申し子でもある747が終わるというのは、じつに象徴的だと思う。
 
大量輸送がコスト減や効率化につながらない。それは当然ながら労働人口の中心世代の減少や移動手段の多様化が大きい。また、自由競争の中で、大量輸送に頼らなくてもコスト減や効率化を進める技術と意識が高まったということもある。
 
たとえば、人々が均一のツアーに多数集合し、団体での旅行をよしとしないという時代も、もうすでにずいぶん前から始まっている。
 
いまから30年ほど前、30代の後半、宝島社の仕事で、地域コンサル業務をやり、観光地のフィールドワークや事業計画書の策定をやっていた頃から、スキー、ゴルフを含め、それらを提供する、俗に観光地といわれるものの衰退と大型観光旅館やホテルの終焉が始まっていた。

その要因は、単にバブルの崩壊ではなく、団体旅行の急激な減少と旅行の選択肢の多様性と志向の個別化、分散化だった。
 
一律均等に、すべての人が同じ方向、同じ志向、同じ目的を示さない。逆に、一律均等と同一方向性、同一志向性が人々を息苦しくさせ、見向きされない。
 
自分にとっての価値や自分にとっての幸せ度が第一義になり、いわゆる大手旅行代理店を軸に組み立てられる既存のお仕着せツアーやそれまでの流通システムに乗ったものではCSが与えられなくなったのだ。

ある意味、ジャンボはその象徴だったともいえる。
 
それをより深く理解していけば、メガシティの再創造によって停滞している経済を回復しようという、今回の都市優先の特区政策は時代に逆行している。逆行するばかりか、一層都市の魅力を失い、同時に、地方との格差を広げる結果になっていくだろう。

いまさらのジャンボ主義。考えているやつは、愚鈍だ。
 
たとえば、いま東京で海外の旅行者に大人気なのはどこなのか。谷中の商店街であったり、日暮里の旅館であったり、いわゆる江戸風情や日本の文化や歴史を感じさせ、かつ高い拝観料をとるような寺社仏閣ではなく、庶民の生活感のあるところ…
 
つまり、東京 in TOKYOに集中している。つまり、TOKYOという都市にある、東京という田舎、文化だ。
 
たとえば、私が大阪にいって、大阪にきたなと思えるのは梅田でもなければ、北新地でもない。道頓堀であり、通天閣だ。
 
なぜなら、そこには人の生活があり、生活のにおいがあるからだ。
 
高級ホテルのラウンジや高級料亭にいって喜べるのは、単に成金の田舎もんかセンスのない輩と相場は決まっている。なぜなら、そうした場にいく敷居がもともと低い人間は、そのことに過大な価値は見出さない。

自分たちの町にある、かけがえなのないもの。自分たちの生活の場にある、積み上げられてきたもの。産物であれ、祭りであれ、生活のきまりであれ、そこには誇りがある。
 
それを守り、育てることができず、金太郎飴のような都市と金太郎飴のような地方をつくっていけば、そのとき、そこには、人々の誇りも、未来も失われる。