秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

これも私の反省だ

昨日は、応援学習バスツアーでお世話になった、福島県国見町の「東京くにみ会」の集いに参加させてもらった。基本は、在首都圏の国見町出身者やその関係者の方たちの集まり。
 
福島県人会とは別に、国見町出身者による、国見町福島県支援グル―プを東京につくるという事業の一環だ。
 
仲間のAさんが建設課長をしていることもあって、国見町とはいろいろつながりを持たせてもらっている。その関係で、私たちMOVEの在京役員も招待された。
 
県北でも、国見町は、地盤の関係で倒壊家屋が多く、庁舎も壊れ、この4年、文化施設、観月台センターのイベントホールに事務机を並べて役場業務をこなしてきた。震災直後の避難所状態が続いていたのだ。それがもうすぐ、画期的な新庁舎が落成する。
 
合わせて、道の駅も建設計画が進んでいる。2年前に国見を訪ねたとき、太田町長と初めて会って、そのビジョンが一町村長の域を越えているなと直感した。元福島県庁の幹部官僚だったと知って納得したが、それを確実に形にされている。
 
国見町に限らずだが、県北から県南を結ぶ中通り原発事故直後、線量も高く、除染や廃土処理の問題で、放射能と格闘している
 
同時に、激烈な風評被害。いかに福島県が全量検査を実施し、証明書を発行しても、仲介業者のところではねられる、ダンピングされるということが続いてる。
 
直接消費者に届けば、支援を含めて購入する人もいるが、依然、福島というだけで躊躇する家庭は多い。子どもを持つ女性なら、そうなる気持ちもわからなくない。
 
また、支援で購入するという人も、その情だけで福島のものを購入し続けるには、それなりの思いがなくてはできはしない。限界がある。

abe果樹園の阿部さんがいっていたが、絶対にここでなくてはいけないという価値を創造しなければ、支援というお情けではなく、継続的に求めようという人たちは出てこないのだ。

よくもわるくもない。それが現実だ。

ただ、それを目指すにしても、いまの実状をしっかり伝えていくことも必要。そして、私が当初からいっているように、人と知り合い、世間話をするような関係をつくり、実状を知ることだ。
 
この間の応援学習バスツアーでもそれを痛感した。

初日から、訪問先や夜の実状説明会で、「全量検査」という言葉が出ていた。福島関係者も多かったこともあって、油断していた。
 
参加した年配の女性たちは、それを抜き取り検査と勘違いしていたのだ。わかったのは、翌日の国見町のあんぽ柿生産農家のMさんのところで雑談をしていたときだった。

「えー。そんな手間かけてたら、大変じゃない。だから、まさかと思ってた…」。
「いやいや。だから、コストもかかるし、検査機器の台数にも限界があって、収穫できずに、捨てられる柿があんなにあったんでしょう…」
「ああ…そういうこと?…」

私自身の反省にもなった。いまでは当たり前になってしまった用語については、きちんと一から説明しなくてはいけない。また、質問を求めても出てこないときは、こちらから、基礎的なことを逆に質問することも必要だったのだ。

おそらく、これはいま県が進めている風評被害対策での販促イベントや助成事業の中でも見直した方がいい。

そうした気づきを持つ上でも、今回の東京くにみ会のような都会の消費者でもある地元の人々が地域の枠を越えて、直接つながることは大事だと思う。そこに、人を基点として、福島と縁のない人たちを巻き込んでいけばいい。

すべてに伝わらなくてもいいのだ。確実に伝わる人、それを受け入れる人をなんとなくではなく、きちんとデータとして持つということだ。そして、常に、「どうしてますか?」と声をかけ続けることだ。

反応がなくても、声をかけ続けることでしか、つながりたい気持ちは伝えられない。それを無駄だと思わないところから、確実につながるひとりが生まれる。それでいい。
 
これも私の反省だ。
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