秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

おみあげ

人には自分の思いや願いのいろいろな伝え方がある。たとえば、プレゼント。

年中行事の中元・お歳暮もそうだろう。年賀状やクリアマスカードもそのひとつだ。誕生日など、アニバーサリーのイベントでのプレゼントはいうまでもない。
 
初めて会う方への挨拶の表敬や儀礼としてのおみやげ。親しい人、大事な人へのおみあげもそうだ。
 
週末土日に実施した、今回のツアーで、訪問先の各所で生産者、加工業者の方たちからおみあげをいただいた。
 
だが、いただいたのは、それだけではないと私は思っている。
 
生産した食せるもの、飲めるもの…といった他に、起き上がりこぼしやワッペンシール、さらには、県や町村のレジメ資料…
 
さらには、笑顔も、訛りの強い言葉も…すべておみあげだった。
 
宣伝のために味見をしてほしい…。笑顔でふれて、居心地のいい時間を過ごし、また来てもらいたい…。あるいは、これだけの実状を数字で知ってほしい…。そして、首都圏の人に広めてほしい…

そこにあったのは、ただ、それだけのことではなかったと思う。そうした願いはあったとしても、それ以上に、その後ろにある、私たちが受け取らなければいけない、思いがあった。姿があった。

それは、人の生活を知るということの大切さだ。互いのことに関心を持つことの大事さだ。そして、人は人のつながりの中でしか、幸せにも、心豊かにもなれないという現実だ。

人はひとりの人のやさしい言葉だけで、救われることがある。なにげない気遣いや思いやりで深くいやされることがある。

自分には関係ないこと、自分は数から外していいこと、自分だけが目をそむけていればいいことなど、ひとつもない。
 
人はつながりの中でしか、生きてはいけないのだ。

そして、生きる生き方の価値や尊さを高めたいなら、わずらわしいとか、面倒とか、忙しいとか、かったるいとか、利益になるならない、得になるならないとか…そうした、くだらない言い訳や自分の都合を先にしないことだ。

傷つかないために、つながりから逃げないことだ。

33名の方がもらった、それぞれのおみあげ。それはひとりひとり違うだろう。私のそれと同じである必要はどこにもない。
 
ただ、いただいたものは、目に見えるものにあるのではなく、目に見えないところにあることだけは、わかってほしい。