秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いまだからこそ

福島の生活者の声にじかにふれてほしい…心からそう思う。

被災し、原発事故被害にあるから、福島の人たちすべてが善良な人だとはいわない。人はだれでも同じように我欲もあれば、私利私欲、打算と無縁ではない。だが、それでも、福島の人たちが抱えた生活の重荷、生活の苦渋は知ってもらいたい。そう思う。
 
もちろん、同じ声にふれ、同じ風景を目にしても、人が感じる深さにはいろいろある。声にふれ、風景をみたからといって、すべてが理解できるわけでも、わかるわけでもない。
 
痛みや悲しみは、それを己のものとした人でなければわからない。そして、痛みや悲しみを受け止める受けとめ方も人それぞれ、耐性や人間性によって変わる。
 
だが、その一色ではない、人それぞれにある痛みや悲しみの姿も、遠くで想像するより、じかにふれ、じかにその目で見つめた方がいい。

私は、震災直後から、石巻、福島の被災地や避難所を回った。だが、そのとき、それを見なくては支援はできないとは思っていなかった。遠くにあってもできることはある。そして、想像力のある人なら、距離は遠くとも、痛みや悲しみをおもんばかることはできる。
 
だが、震災からもうじき3年になろうとするいまは、3年になろうとするいまだからこそ、福島を見てもらいたいと思う。
 
そこにあるなにも変わっていない現実と変わったことで失われた現実と、そして、変わったことで生まれた明日への希望と、さらには明日への迷いを見てもらいたい。

相克と矛盾と葛藤を生きる、ひとつの地域の姿とそこに生きる人にふれてほしいと心から思う。それは、必ず、自分たちの地域や生活を振り返ることになる。それは、必ず、人がつながり合えるものだという確信へと導いてくれる。

福島応援学習バスツアー。それは、いまだからこそ、ふれ、見ることしかできない風景と人の姿があるから実施するのだ。
 
いわき市の久ノ浜では住宅基礎の撤去工事が始まった。12月中旬以後は、薄磯、豊間でも防波堤工事が開始される予定だ。震災当時とは姿を変えたが、それでもそこにあった住居や町の面影が来年以後は消えていく。

いましか見ることのできない風景。それにふれながら、その中で明日への道を拓こう、日常を回復しようとする人々の思いや願い、そして、取り組みにふれてもらいたいのだ。

言葉の深さや重さは、言葉だけでは伝わらないときがある。その言葉を生んでいる風景とともに、それにふれてほしい。

福島県内の人間でも、あるいは福島県出身の在京者でも、そうしたものに触れたことにある人はじつは少ない。まして、福島と縁のなかった人はなおのことだろう。

一度くらい、ふれ、見ただけでわかるわけではない。だが、その謙虚さを持ちながら、ふれ、見つめてみれば、必ず、自分が、自分たちの地域が、仕事が、生活が、人とのかかわりが、そして、自分に与えられた社会的使命や役割が見てくる。
 
それは、すべていまだからこそ、見えることなのだ。