秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見守り

被災や紛争被害への関心、意識というのは、残念ながら、時間と共に薄れる。

また、国連NGOの団体や海外での支援活動をやっている方たちと情報交換していても、よく出る話だが、支援事業を展開する立場の人々の中にも、いかにうまく被災地域や紛争地とコンタクトし、目立つ現地活動をやって、国連ほかの支援助成金を獲得するか…それだけに奔走する団体もある。
 
そうしたものによって、本来、提供すべき支援や援助とはちぐはくなことが、さも緊急の支援として必要であるかのように主張され、結果、現地にそぐわない形、あるいは、支援後、現地の負担になるようなサービスが提供されることは少なくないのだ。

井戸を掘るの活動にみられるように、メンテのできない機械を提供し、結果的に、故障や破損でその後、捨て置かれてしまい、支援が意味をなさない事例などだ。

こうした支援のあり方によって、特質したことだけがマスコミによって人々に伝わり、手を差し伸べなければならない、被災・紛争地の現実がさらに見えなくなるということが起きる。

また、あれだけの支援が実現しているのだがら、あえて、自分たちが当時のような強い関心を持つまでもないという覚めた目も人々に植え付けていく。

だが、現地や現場に持続的、継続的な「見守り」の目を向けていれば、実際には、まだ、なにひとつ解決されず、それどころか、より深刻な問題が生まれている現実が見えるのだ。

現実的な支援や取り組みには足を踏み入れないまでも、私たちは、この地球に生きる同じ地球市民として、あるいは、同じ極東の島国に生きる市民共同体のひとりとして、その「見守り」を忘れてはいけないのではないだろうか。

人々は忘れる。新しい被災があれば、新たな紛争があれば、人々はその新しい情報に引きずられる。だが、大事なのは、よく目をこらし、そうした被災、紛争の背景にある、問題にこそ目を向けることだ。
 
そうすれば、一時の関心や新しい情報にばかり振り回されず、根本的で根源的な行政や政治、あるいは地域、家庭…それらを取り囲む自分たちの社会のあり方がこれでいいのかという問いにつながる。その問いの解答を求める活動こそ、見守りが生むのだ。

今回の第三回福島応援学習バスツアー。募集に大変苦労している。要因はいくつかある。日程の設定にも大きな問題がある。だが、やはり、それでも、私は、いまこそ、福島県中通りの現実、その課題をこの時期に見てもらいたい。

震災直後、須賀川の米農家の方が出荷停止の中で自殺した。その後4年近く、歯を食いしばって、大きな復興予算のない中通りはギリギリの闘いを続けている。
 
その現実への見守りのない国、国民、市民…それでは、自分たちの暮らしの未来さえも築けはしないのだ。