秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

出会い

10代は、通らない意見や考えにいら立ち、大人たちの経験主義や体験主義の壁に、心の奥で怒りをたぎらせていた。
 
だから、10代のひとつの夢は、早く、若造と思われない、30代になることだった。そうすれば、自分の考えや意見が大人社会の中でも受け入れられるだろう…そう思っていた。
 
だが、30代になってみると、自分は少しも大人ではなく、また、自分の考えや意見をすんなりとは決して、受け入れないのが大人社会なのだとやっと理解した。
 
だから、30代のひとつの夢は、早く40代になることだった。そうすれば、ショットバーにひとりで座っても、物怖じすることもなく、それなりの収入もえて、いわゆる大人らしいことができるはずだ…そう思っていた。

役職や組織における立場、40代になるとそこに実現力が与えられる…。

当時、NHKの英語教室をやっていた学芸大のある有名教授からそう指摘され、なるほどなと思い、現実に、組織の肩書や立場の力によって、通らないものを通すことができるということも知った。

だが、まだ同時に、40代になってみると、それまでにやり遂げていないこと、10代のとき、あるいは20代の頃、自分がなにをめざし、どこへ向かって走っていたのかを振りかえさせられる。
 
仲間や後輩たちに聞くと、やはり、40代始めに、同じように、これでよかったのか…とふと考えたという。
 
邦画の「Shall We Dance」は、その40代の、そこそこ社会に居場所をみつけながら、突然、人生の空虚感に襲われた男が主役だ。ある日、西武線の駅で急行列車をやり過ごす停車中に、ふと見染めた、窓辺に立つ女性…

それは、たとえば、中学や高校生の頃、憧れながら言葉ひとつかけられなかった女生徒のようなものなのだ。そして、同時に、その女生徒と同じ時間を生きていた、まだ未完成の自分へのいとおしさだ。

そして、思春期や青春期に自分が果たせなかったことをやってみたいという欲求に襲われる。
 
それをやり過ごす人もいるだろう。あるいは、一歩踏み出す気力がなくて、平穏な毎日に意図して踏みとどまる人もいるだろう。
 
だが、そこで生き直そうとする人もいる。

しんどいけれど、安全な枠組みではなく、本来の自分の道、自分の生きる道をあえて歩こうとする人もいる。

人生は長いとある人はいう。また、ある人は人生は短いともいう。おそらく、そのいずれも正しい。
 
生き直すことができるという意味で、人生は長く。やり遂げられることがあまりに少ないということで人生は短い。

その感覚をどう生きるか…それは人ぞれぞれの選択だ。だが、ひとつだけいえるのは、出会いがあって人生の流れは変わる。人生を長く生きるのも、短く生きるのも、結果、それぞれにそれがよかったかどうかは、出会いを逃げないで、きちんと、必死に生きたかどうか…
 
それだけなのではないだろうか。