秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あなたを忘れない

日本にいて、紛争地の悲惨を知ることはできても、それを実感することは難しい。それは、被災地の現実を被災当時の姿からみつめ続けていないと実感できないのと同じだ。

昨日、9.11のことを書いたが、ツインタワービルのなくなったグランドゼロだけではなく、その周辺ビルに生々しくまだ残っていた、傷痕。爆風や飛散した建材などによって、削られ、修復されてない風景を見た経験があるかないかは大きい。

当然ながら、紛争地や被災地でじかに被害や被災を受けた人々の声を聴く、聴かないの体験の差は大きい。

その差、実感の差。それを埋めるのは、人それぞれの感性だ。だが、その感性の敏感さや鍛えれ方は、様々だ。鈍感な人、感性の弱い人…そうした人たちは、それを埋める努力をしないか、気づけない、あるいは、わかった気になっているかのいずれかだ。

実際の紛争や被災ではなくとも、それに通じる幼少期の体験や想像力を与えられる現実がどこかにないと、努力をしない、気づけない、わかった気になる…そのいずれかに収まって、自らを疑うことをしなくなる。

旧ユーゴ、ボスニアコソボといった地域で紛争が続いていたころ、その支援活動として実施されていた活動紹介と支援促進のための映像作品をつくったことがある。

あなたを忘れない」というタイトルは、その取材映像を見ている中で、すぐに浮かんだ。

支援ボランティアに参加したひとりの日本人の中学生の少女が、旧ユーゴの紛争地域で生活する家族を訪問していた。自分たちが持参した手作りのポシェットを同世代か、その下の子どもたちに渡した。

受け取った子どもたちは紛争の最中にあり、いのちの危険と生活の困難にあるというのに、そのプレゼントに何事もない子どもたちと同じように、満面の笑みを浮かべた。すると、その反応を見ていた日本人の少女は、突然、大粒の涙を流し始めた。

無言でただ、大粒の涙を流し続けた。心遣いのある取材者は、そのときでなく、その家を出て、帰路を行くとき、いつもの笑顔に戻った少女に聴いた。どうして、さっき、泣いてしまったの?

少女は答えた。「自分があげたもので、いままであんなに喜んでもらったことは日本にいて、一度もなかった。すごいものを渡したわけでもないのに、ポシェットを手作りした私たちの気持ちを、私たちよりずっと大変な生活をしている人たちが受け止めてくれて…それがとてもうれしくて、泣いてしまった…」。

そして、これからどうしたい?という次の問に、「忘れない。今日のことも、彼女たちのことも、紛争が与えた彼女たちのつらさも、悲しさも、私は忘れない…」。

彼女はのちに大学生となり、国連職員となり国際平和のために努力したいという夢に挑戦した。

いま私たちの国には、実感を支える体験の希薄な人が増えている。そして、実感や体験の差を埋めるための努力や感性を眠らせている人が増大している。

平和であることの深い意味や尊さに気づけないまま、それを守るために自己犠牲ともいえる努力をしている人々を努力や感性ないまま、まして理論もないまま、非難し、中傷している。

苦しく、つらく、悲しいときを知らない人は、だれも覚えていないだろう。それは他人だけでなく、自分をも忘れる道だ。あなたを忘れない…それは、自分の尊さも忘れないということなのだ。