秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国見のAさん、おそるべし!

昨夜は、MOVEのメンバーで国見町役場につとめるAさんの個人ネットワークの仲間の飲み会に誘ってもらった。
 
いったのは、創業95年という、渋谷円山町でも老舗の和食割烹の店。大将は、4代目になる。
 
円山町といえば、ラブホテル街。だが、その昔は、花街・色街として、多くのお茶屋や旅館、料亭があった。それらの店に仕出し料理を提供していた店。円山町、つい20年ほど前まで芸者の置屋もまだあったのだ。
 
いまでも京都や有名旅館街などでは、割烹旅館や料亭では、店で調理して出すのではなく、専門の仕出し屋と契約し、それを店の料理として出すところが多い。

かつては、渋谷円山町もそうした一郭だった。ちなみに、二子新地などもそう。もともと、芸者さんたちの検番もある花街だったのだ。
 
相当に当時は繁盛した店だろう。いまは、予約が基本で、大人たちの店。渋谷にしては落ち着く。

老舗だから、なかなか福島でも手に入らない、飛露喜はあるわ、各地の銘酒が当たり前のように置いてあった。そのうち、私が佐賀、鍋島藩の家老職の家の血筋と知るや、どこからか、大将…といってもまだ40代くらいだが、
佐賀の銘酒、鍋島をゲットしてくるw これには驚き。
 
御承知のとおり、円山町の少し先、高級住宅地で知られる松濤は、もともと、鍋島家の下屋敷があった場所。

横浜市行政の方や退職された上司、横浜でふくしまカフェをやる任意団体の代表の方、そして、私が子どもの頃から読んでいた、地元紙、西日本新聞社の次長さん…。

驚いたことに、私の高校の学区で、彼は、私が卒業してしばらくしてできた、新設校に進学していた。兄弟姉妹や縁者には、私の母校卒もいるというw さらには、私の高校時代の悪友が二日市の地元商店街で服飾店をやっているのだが、これもよく知っているという。

横浜市の退職された方の妹さんは、なんといわき市在住! 震災のとき、平の町中で大きな被害には遭わなかったが、一時、東京に避難していたらしい…

国見のAさん。おそるべしw こんな縁ある人との縁を結ぶのは、ただものではない。東京での、ちょいとやくざな暮らしが、そうさせたらしい。

いい話と、銘酒。店にはわるいが、つまみはほとんど口にせず、それだけでいい時間だった。